山田五郎著『真夜中のカーボーイ midnight cowboy 』幻冬舎(2020年)を読みました。
五郎さんから直々に、お手紙付きで送られてきた本です。
私が榎塾をしている DORADO GALLERY は、元々はアンティーク時計ショップです。
アンティーク時計が趣味の五郎さんとは、OLDTIMES /DORADO SALON が御縁で知り合いました。
私は、仲間たちと共に、熊野那智大社に作品を展示するプロジェクトを計画中です。
那智大社は、那智の瀧を御神体として祀る神社です。
私が那智の瀧に興味を持ったのは、根津美術館にある国宝『那智瀧図』を見て、強く心惹かれたからです。
その那智瀧図が、すごーく謎だらけの絵で、いつ誰が何のために描いた絵なのか不明です。
そこで「古今東西数々の名画の謎解きをしている五郎さんなら那智瀧図も謎解き出来ちゃう?」みたいな話を、DORADO GALLERY 店主の小原氏としていました。
五郎さんは西洋画が専門で、日本美術の解説は少なく、那智瀧図についての解説も無かったと思います。
「でもYouTubeで神護寺三像についても解説してるから、那智瀧図も解説できるんじゃないかな? それとなく訊いてみて」と小原氏を促したら、しばらくして、付箋が貼られた一冊の本が届きました。
本に添えられた手紙には「付箋した箇所に私の那智大滝観を綴ってあります」と書かれていました。
先ずは付箋の部分を読みたい!と思う気持ちを抑え、順を追って読み進めることにしました。
表紙のタイトルを見て、COWBOYの訳が、カウボーイではなく、カーボーイであるとに気づきます。
ダスティン・ホフマン主演のアメリカ映画『真夜中のカーボーイ』(1969年)があります。
当時のユナイト映画の宣伝部長水野晴郎氏が「都会的な雰囲気を演出したかった(Car=自動車=都会の象徴)」との理由で日本語訳をカーボーイと表記しました。
この小説の中でも、映画『真夜中のカーボーイ』について書かれています。
また、主人公の俺が、車(カー)を運転する事も、この小説の重要な要素になっています。
それでは、ネタバレ多目になりますが、この小説の解説と、私の感想を書いて参ります。
主人公が語り部となって物語は進みます。
主人公は、自分の事を「俺」と言います。
五郎さんも、いつも自分の事を「俺」と言い、私にはその発音が「オデ」みたいに聞こえます(笑)
ですから、自分の事を「オデ」と言う60才手前の主人公は、2015年頃の五郎さんという設定です。
小説の終盤に書かれていますが、この物語を本にする構想が始まり、2020年に書き上がり、講談社を退社後に出版した、となる訳です。
この物語には、もう一人の主人公である『デコ』という女性が登場します。
『オデ』と『デコ』ダブル主演です。
本名は妙子ですが、アールデコが好きというキャラ設定なので、綽名がデコです。
アールデコ調のデザインが好きなデコは、ジタンというタバコを吸っています。
確かに、学生の頃、ジタンやゴロワーズなど、水色のパッケージの洋モクを吸う女子が流行っていました。
私は、あの独特過ぎる匂いが好きになれず、軟弱にもマイルドセブンを吸っていました(笑)
(早々に禁煙して、現在は全く吸っていません)
デコは、モデルの山口小夜子さんに似ているという設定です。
デコとオデは、高校生の頃、大阪の中之島で出合いました。
高校時代の五郎さんは、大阪に住んでいました。
デコは、その時代の彼女という設定です。
1976年8月18日、当時高校三年生の2人は、大阪から南紀白浜までバイクで向かいますが、その途中、オデがやらかしてしまったある事件によって、離れ離れになってしまいます。
そして39年後の8月18日、東京で再会するのですが…
オデとデコのかけ合いは、ほとんど夫婦漫才です(笑)
読みながら脳内で関西弁の音声を生成するのですが、慣れない関東人には少々負荷がかかります(笑)
面白おかしく会話する2人なのですが、直面する問題は深刻です。
余命宣告を受けたデコが、最後に、あのとき行けなかった白浜に連れて行って欲しいとお願いしに来たのです。
2人が会って話している場所は、おそらくリーガロイヤルホテル東京のスイートルームという設定です。
2人は、ホテルの正面玄関を出て、目の前の新目白通りを渡り、神田川に架かる豊橋を渡り、豊川浴泉という銭湯に行ったであろうと読み解けます。
その界隈は、私が生まれ育った街で、昔は出版社や印刷・製本工場が集まる工場地帯でした。
私の父の小さな工場も在りました。
神田川が度々氾濫して、その一帯も何度か水没しました。
今ではすっかり様子が変わってしまった街ですが、富士山のペンキ絵が描かれた豊川浴泉は、昔ながらの昭和レトロの佇まいを残しています。
こちらは、富士山ではなく、トゥーン湖と二ーセン山。
スイスの画家ホドラーの作品です。
2人が初デートで観た、思い出の展覧会がホドラー展だったそうです。
デコからの形見分け、カルティエ製ミュスティオーズ・モデルAを貰います。
9月の第1週、オデは、白浜旅行のスタート地点となる大阪に行きます。
前乗りして、デコとの思い出の地、中之島を歩いて巡ります。
私は、大阪には何度か行きましたが、街の風景は詳しく知りません。
しかし、中之島は、大好きな映画、濱口竜介監督作品『寝ても覚めても』の冒頭シーンで見て、とても強く印象に残っている風景です。
『寝ても覚めても』では、国立国際美術館から堂島川沿いの西側の先端近くの遊歩道までの風景が映ります。
一瞬、通天閣や淀屋橋からの日銀大阪支店の映像もインサートされます。
五郎さんの小説では、淀屋橋の駅から、府立図書館に向かいます。
次は、水晶橋に向かいます。
その次は大江ビルヂング。
そして、中之島の東の先端に向かいます。
島の先端は、船の舳先のように尖っています。
ここで、高校生時代のオデとデコは、サモトラケのニケごっこをしたのです。
映画『タイタニック』のニケごっこは、それよりも後です。
翌朝、いよいよ、白浜に向けて出発します。
デコが用意した車は、真っ赤なメルセデスSL550です。
オデが運転するオープンカーは、白浜に向けて出発します。
ロードムービーに欠かせないのが、カーオーディオから流れて来るBGMです。
ここで、デヴィッド・ボウイのファイブイヤーズをかけます。
刺さりました。
私は五郎さんよりやや後輩ですが、世代は近いので、聴いていた音楽も似ています。
だとしても、私にとっても思い出の曲なので、最初にこれが来たかぁ~!と思いました。
アルバム『ジギースターダスト』を聴いて、次に『レッツダンス』も聴きます。
私は、ジギースターダストツアーには行けませんでしたが、シリアスムーンライトツアーには行きました。
私は、中学から高校くらいまでは、クラッシク音楽を中心に聴いていました。
その次がモダンジャズで、ロックはFMラジオで流れて来るのを聴く程度でした。
高校時代は体育会系だった私が、突然美術に方向転換してから、聴く音楽の傾向もガラッと変わります。
遅れを取り戻すかのように60~70年代のグラムロックやプログレッシブロックも聴き直し、聞き込みました。
この小説には、未成年の喫煙や万引きが描かれています。
五郎さんて、素行の悪い不良少年だったの? と思うかもしれません。
もちろん悪い事ですが、現在のコンプライアンス意識で判断できるでしょうか?
60~70年代に思春期を通過した若者たちには、何かしら覚えがあると思います。
私は、子供の頃には、父親が吸うタバコが煙くて大嫌いでした。
今だって好きではありませんが、中学高校時代には、カッコつけて、隠れて喫煙をしました。
当時の子供は、仲間からガキ扱いされる事が、たまらなく嫌だったのです。
ケンカも、仲間同士で度胸があるところを見せ合わなければ、ヘタレ扱いされる風潮でした。
現在は、そのようなダークなマウントの取り合いは、SNSのイジメに引っ越したのかもしれません。
もちろん大いなる勘違いであると前置きした上で申し上げると、同じ物でも、お金で買うのと、野生的能力を覚醒させて手に入れるのとでは、価値が違うという心理が、万引きにも影響しているのではないかと分析します。
例えば、お金で買える疑似恋愛と、それこそハートを盗むのとでは、全く別ものです。
魚屋で買える魚を、なぜ海まで行って自分で釣り上げたいのか?
あまり無責任なコメントはできませんが、野生動物のようなハンティング(狩猟採集)を何かしら別の形に変換して昇華しないと、都市化された規律の中だけに閉じ込められるストレスを開放できないのかもしれません。
わかんないけど。
2人は、当初の目的地であった白浜に、あっけなく到着します。
そこで、南方熊楠記念館に行こう、となります。
南方熊楠がどのような人物かは、今更説明するまでもありませんよね?
一つだけ言及すると『やりあて』という言葉を言った(造語した)人です。
偶然の域を超えたような発見や発明、的中のことを言い表した言葉が『やりあて』です。
それについては、長くなるので、また別の機会に解説したいと思います。
南方熊楠という名前ですが、南方は、本州最南端に突き出た南紀地方にい多い名字で、文字通りに南の方角を意味しています。
熊楠の熊は、熊野地方の熊で、楠は、和歌山県海南市の藤白神社の大楠(おおぐす)です。
大楠は、樹齢数百年を超える御神木で、藤白神社は熊野九十九王子の一つで、古来より熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)への正門でした。
この南方熊楠という名前の意味が、次の展開を示唆しています。
古代の神話によると、神武天皇の東征は、九州の高千穂から国の中心地である大和国の橿原を目指した「神武東遷」なのですが、船で出発して、瀬戸内海を通り、先ずは大阪湾から上陸します。
方角的には、西から東に向かっての進行方向で進みます。
しかし、その上陸は、敵に阻まれて失敗に終わります。
そこで、神武天皇は、方角を変更して、リベンジを試みます。
その方角こそが南方です。
紀伊半島の南端を、西から回って、東側から上陸地を探します。
そこで探し当て(やりあて)たのが、那智の瀧の発見です。
海岸線を回っていくと、海から那智の瀧が見えたのでしょう。
オデとデコのリベンジも、大阪から紀伊半島の南端を回って、那智の瀧を目指すことになります。
紀伊半島の最南端を通過し、南下から北上に転じたところに橋杭岩があります。
前記事の最後に紹介した無量寺に行く途中に、橋杭岩はありました。
その風景が、ピンクフロイドの『炎』の付録のポスカによく似ているのです。
カーオーディオはピンクフロイドへ。
流れる曲に合わせて歌いながら那智勝浦に到着します。
リアルな設定で書かれている小説なので、実話がベースになっているとするならば、2015年の秋に、五郎さんは実際に那智の瀧に行った、ということになります。
そこで五郎さんがどんな体験をしたのか、瀧を目の前に、どう感じたのか、いよいよ付箋の貼られた部分が近づいて来ました。
その前に、2人は、那智山青岸渡寺別院である補陀洛山寺に立ち寄ります。
そこで、エマーソン レイク&パーマー『キエフの大門』の、death is life (死こそ我が生なり)という歌詞について語り合います。
そこで見たものは、補陀洛渡海船の実物大復元模型。
那智参詣曼荼羅。
その後、いよいよ那智の瀧に到着します。
ここから先は、ご自分で本を手に取って読んで欲しいです。
少しだけお話しすると、伊藤若冲の『象と鯨図屏風』の話が出てきます。
像も鯨も体が大きい動物で、人間の可聴域を超えた低周波を聞き取ることができ、長距離のコミュニケーションが可能だといわれています。
那智勝浦の太地くじら浜公園には『くじらの博物館』があります。
デコが唱える那智の瀧と海との低周波説とは?
熊野古道を更に三重県側に進むと、花窟神社という、伊弉冊尊(イザナミノミコト)を祀った神社があります。
私もそこに行きましたけれど、凄い巨岩が在って、それが黄泉の国の入り口を塞いでいるそうです。
デコは、最後にそこに立ち寄りたいと言いますが…
読了後、未だ判然としないのは、この物語が、どこまで実話で、どこから作り話なのか、妄想なのか、記憶の改竄なのか…
絵画の謎を解くのと同様に楽しませてくれる作品です。
【お知らせ】
根津美術館で、7月27日(土)~8月25日(日)『美麗なるほとけ』-館蔵仏教絵画名品展-が開催予定で『那智瀧図』が展示されます。
最近、NHKの大河ドラマ『光る君へ』を観ていたら、平安時代から宋人が渡来しているので、もしかしたら鎌倉時代に渡来した宋人の絵師が『那智瀧図』描いた可能性もあるのではないか?などとも猜っています。
また久しぶりに観られる機会なので、よーく観て、じっくり考えてみようと思います。
【追加情報】
東京国立博物館
『創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」』
前期展示:7月17日(水)~8月12日(月・休)
後期展示:8月14日(水)~9月8日(日)
国宝伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵
【展示期間】
前期展示 7月17日(水)~8月12日(月・休)