大熊猫(ジャイアントパンダ)図を描くために、上野動物園にパンダを見に行きました。
1月17日木曜日の午後、平日だというのに、パンダ舎の前には長蛇の列ができていました。

上野動物園来園客の半分くらい中国人観光客です。
でもパンダを観るために並んでいるのは、ほぼ日本人です。
シャンシャン

香香は木の上で丸まって寝ていました(´O`)°゜
シンシン

リーリー

大熊猫は、竹をバリバリ食べてしまいます。
これを、古代中国人は、硬いものを何でも食べてしまう怪獣だと考えました。
それが誇張されて、槍のような竹を食べてしまうのだから、金属のような硬い物を食べてしまう、という空想に発展します。
槍や金属を食べてしまう幻の生き物は、戦争の道具である武器も食べて無くしてしまうだろうと考えられ、平和の象徴とされました。
その幻の生き物は、体の色が、白と黒のツートンカラーらしいという手がかりから、パンダとマレーバクとが混同されて同一視され、その怪獣は「獏」と呼ばれます。パンダとマレーバク、どちらが獏のモデルで、どちらが後から混同されたのか、それは諸説あって定かではありません。
幻の生き物「獏」の話は、日本に伝わり、パンダを知らない日本人は、勝手にいろいろ想像します。
日本人は、平和の守り神である「獏」が、就寝中に幽体離脱して夢遊する魂を、魔物から守ってくれると考えて、寝室の魔除けにします。
いつの間にか、日本では、獏が悪夢を食べるらしい、と拡大解釈して考えるようになります。
そして、江戸時代の終わり頃に、獏が夢を食べる生き物であるという日本だけの(誤った)新説が広まりました。
パンダは、UMAと言って、ネッシーや雪男やツチノコなどと同様に、実在するのかどうか、未確認の幻獣でした。だから、目撃者の証言から噂が独り歩きして、獏という怪獣を生み出し、そして、その獏の解釈も、海を渡った日本で、また独り歩きしました。実際にパンダが確認されると、生物学的な研究が進んで、色々なことがわかってきました。
毛皮が発見されたのが明治2年、生きたパンダは昭和11年だそうです。
パンダは、竹だけじゃなくて、リンゴが大好きなんですよ。以前、中国の動物園に行ったとき、特別に飼育舎の中に入れてもらって、触ったり、リンゴをあげたりしました。
中国には、白黒のパンダだけじゃなくて、白と茶色のパンダもいました。珍しいパンダに触らせてもらいました(=^ェ^=)
大熊猫図アイデアスケッチ