2022年03月12日

ドライブ・マイ・カー

濱口竜介監督作品『ドライブ・マイ・カー』を観ました。
劇場公開時には観られず、DVDの発売日に早速見ました。
村上春樹の短編集『女のいない男たち』も読んでいます。

濱口竜介監督といえば、以前に、このブログでも紹介した『寝ても覚めても』がデビュー作品です。

実は、私がこれまでに観た日本映画の中で、最も好きな作品が『寝ても覚めても』なのです。ですから『寝ても覚めても』を超えるのか?『ドライブ・マイ・カー』にも期待が高まります。

ちなみに、私がこれまでに観た外国映画の中で、最も好きな作品は『ブレードランナ(1982)』です。
その次が『ターミネーター』で、その次が『レオン』・・・みたいな感じです。


『ドライブ・マイ・カー』DVD、観ました、3時間。
原作からは、かなり作り変えられています。

『寝ても覚めても』も、原作小説があり、かなり作り変えられていました。
映画も原作小説も、どちらもそれぞれの良さがあります。僕は映画のほうが好きです。
映画の『寝ても覚めても』は、TVドラマ化もされたマンガの『凪のお暇』的なテイスト(それっぽいシーン)が入っています。
実は、私がこれまでに観たTVドラマの中で、最も好きな作品が『凪のお暇』なのです。

結論から言うと『ドライブ・マイ・カー』は『寝ても覚めても』のブラッシュアップであり『ブレードランナー』のオマージュであり、ラストは『ターミネーター』のラストシーンっぽくさえあり『Red』も想起し、ちょっとだけど『ラブ・アクチュアリー』ぽいシーンもあったり、ユーモアのつもりかどうか、東出昌大くんをイジっているようなシーンもありました。

『ドライブ・マイ・カー』は、客観的に評価すれば間違いなく質の高い作品です。
だとした上で、観た人がそれぞれに自分の好みで好きか好きになれないか? ですね。

『寝ても覚めても』でも劇中劇としてチェーホフを引用していました。
今回は、それが更に発展しています。原作では、主人公の家福が『ワーニャ伯父さん』を演じたことがある、というそれだけの要素を、思いっきし膨らましています。
私的には、演劇祭の設定とか、それに係わる人々とかが、ちょっと物語に入り込めない要素でした。

例えば、映画では広島が舞台ですが、原作は東京、青山、根津美術館の裏側辺りです。それがなぜ広島になったのかというと、広島は、核戦争後の都市だからです。そこに、他民族、多文化、多言語の人々が集合します。お互いに理解していない言語で会話します。
それはまるで『ブレードランナー』のシーン。
「two two four」「二つで十分ですよ」「and noodles」「わかってくださいよ」
みたいな(笑)

『ブレードランナー』では、スピナーで街を走り回ります。
煙突が炎を噴き上げる空を飛んだり、巨大なタイレル社に行ったり。
有名なトンネルを走り抜けるシーンとか、ラストは二人で車に乗って駆け落ちします。
そして、デッカードといえばウイスキーです。
ハードボイルドな殺し屋は、『デッカードグラス』なんて呼ばれるカッコいいグラスで、ウイスキーを飲むのです。

『ブレードランナー』にしても、やはりそれ以前の映画からの影響を受けています。例えば、スコセッシ監督の『タクシードライバー』やタルコフスキー監督の『ストーカー』などです。
そして、映画の様式として、ネオフィルムノワールというスタイルで作らています。例えば、ポランスキー監督の『チャイナタウン』のようなスタイルです。

映画って、オマージュ文化なのです。映画に限った事ではありませんが、遺伝子を交配して引き継いで生まれてくるのですよ、いい意味で。

話を『ドライブ・マイ・カー』に戻しましょう。
主役の家福(カフク)ですが、村上春樹の小説に『海辺のカフカ』ってありますが、カフカと家福、似ています。「かふく」という響きは「禍福は糾える縄の如し」を想起させますね。
災禍は、災害都市や、事件や事故、難病や障害。
『寝ても覚めても』では、東日本大震災という災禍が扱われていました。
『ドライブ・マイ・カー』では、大雨で地滑りという災禍が扱われています。
『寝ても覚めても』では、仙台市の巨大な防潮堤
『ドライブ・マイ・カー』では、広島市の巨大なゴミ焼却施設、広島市環境局中工場
『寝ても覚めても』では、難病のALS。
『ドライブ・マイ・カー』では、ろうあ(聴覚障がい者)。
映画というものには、その時代時代の社会的な問題、事件、事故などの出来事が織り込まれて描かれます。
これらが、糾える縄の如しの構造で展開していくのか、福から転じたのか、福に転じるのか、ってことです。

原作小説には無い広島の演劇祭、そこに登場する韓国人夫婦、その夫婦が飼っている犬。
『ターミネーター』で犬が意味を持っていたように、『ドライブ・マイ・カー』でも犬に意味を持たせています。
その意味が、ラストシーンに繋がります。

ラストシーンは、言葉の説明が無く、観る人に解釈させようとしています。
ラストをネタバレさせていいのかどうか、ちょっと迷いますが、少しネタバレ気味で言わせてもらいます。

何故かはさておき、場所は韓国です。見ればわかります。映画のスポンサーであろう韓国企業の自動車がずらりと並びます。
楽園は、あの世ではなく地上にある新天地。

みさきが、スーパーで買い物をしています。買い物袋は大きいです。
そして、家福の車を運転します。
隣に家福はいません、その代わり、犬が一緒に居ます。
そこで、買い物や、犬が一緒にいることの意味から、今の状況が想像出来ます。

これは、普通にハッピーエンドと解釈していいと思います。

全体としては面白かったし好きな映画です。
だけど、賞狙いを意識し過ぎたのか、真意(深意)は定かではありませんが、多国籍多言語多様性の絡め方にダレちゃう感も否めません。
私は『寝ても覚めても』派かな?
『寝ても覚めても』は冒頭の数分間で掴まれるのと、こちらは なんですよね。
posted by eno at 18:33| 映画 | 更新情報をチェックする