2018年07月10日

機会費用と御縁

読書の話ですが、今更ながら中上健次を読みました。
たぶん、自分には相性が悪いだろうと、読まずにそう決め込んでいました。
で、実際に読んでみると、やはり、思った通り相性が悪いのです。

先ずは「18歳」を読んで、18歳くらいの男の子は、精液ばっかり出しているのは、まあわかります。次に「19歳の地図」を読んで、公衆電話が、今だったらインターネットなのだろう、とか思ったりしました。それで、それなりに面白い部分もあるのですが、でも、もういいと思いました。しかし、もう一つだけ読んでみようと思って「千年の愉楽」を読み始めました。ところが、ちっとも読み進まなくて、誰にも感情移入できなくて、途中で読むのをやめました。

だったら感想を書く必要も無いのですが、ただ、単に面白くないからスルー、というのとも少し違います。もしかしたら、もう少し我慢して読めば面白いのかも知れない、とも思うのです。しかし、結論としては、読まなくていいと判断しました。それが「相性が悪い」ということなのです。

本を読むには、それなりに時間を費やします。もし、この本を読まなかったら、その機会費用を別の何かに交換できます。でも、それは読んでみなくちゃわからないことなのです。ですから、それらは全て御縁なのです。
 
【追記】(7月12日)

私が、今更ながら中上健次を読んだ理由は、読書を教養という観点で見た場合、自分の読書傾向を偏向させたくないと思ったからです。つまり、読むことに理由はあっても、読まないことに理由は無いのです。相性が悪いだろう(作者や作風についての予備知識はありますから)と決めこんだものを、それを確認するだけでもいいから読む理由があると思いました。

途中で読むのをやめた「千年の愉楽」は、その題名からもマルケスの「百年の孤独」を意識しているのだろうと推測できます。実は「百年の孤独」も読み始めた時点では面白そうだと感じましたが、ちっとも読み進まず(半分以上読んだのですが)途中で読むのをやめてしまいました。いつかまた読み直そうと思って、それきりです。
posted by eno at 00:08| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする