★ 前回の予告通り、ルソーの『蛇使いの女』について書きます。
来年は巳年ということで、テーマを広げて、蛇についても考えてみます。
この絵は、たぶん中学の美術の教科書に載っていたかなにかで知ったと思います。
私は新宿区民だったので、子供の頃から、新宿の街によく遊びに行っていました。
当時は、新宿駅東口に新宿アルタというビルがあって、その地下1階にマクドナルドがありました。
私の記憶が正しければ、マクドナルドの壁画が、もしかしらルソーの『蛇使いの女』の模写だったか、それによく似たジャングルの絵だった気がします。
もう40年以上も前の記憶なので、あまり正確ではないかも知れませんが、それを見てルソーをイメージした記憶が残っています。
新宿界隈で、私が好きでよく行った場所は、新宿御苑の中にある大温室でした。
この大温室が、まさにルソーが描くジャングルを彷彿とさせる場所なのです。
昔は、吉祥寺の井の頭自然文化園にも大温室があって、温室の中では、オオハシやサイチョウが飼育されていました。
私は、ルソーが描くジャングルは、そのような植物園の温室を描いていると直感しました。
描かれている動物たちも、動物園の動物たちに違いありません。
その後、ルソーについての解説書を読みましたが、やはりパリ植物園の温室を見て描いたらしいことが書いてありました。
私は、子供の頃から、動物園・水族館・植物園が大好きでしたから、ルソーの気持ちが想像できます。
学生時代、私は上野動物園の水族館(今は無い)でアルバイトをしていました。
科学博物館も大好きな場所でした。
だいぶ時が経って、サッカー・ワールドカップ・パリ大会が開催された年に、パリに旅行して、オルセー美術館でルソーの実物の絵を観ました。
ルソーは、外国旅行をしたことがなく、ずっとパリで暮らしていたそうです。
『蛇使いの女』は、友人の画家の母親から、インド旅行の体験談をテーマに描いてほしいと、注文を受けて制作したらしいのです。
もちろん、ルソー自身は、インドに行ったこともないし、蛇使いを見たこともありません。
ですから、パリ植物園の温室で見たジャングルっぽい風景に、動物園で見た蛇と、ルソーが勝手に想像した蛇使いを描いたのだろうと思います。
蛇使いが、男なのか女なのか、どんな服装で、どんな笛を吹いているのかも知らないのでしょう。
インド人だから、肌の色が黒いだろう、くらいの想像だけで描いたのかもしれません。
蛇使いの女が描かれたのは1907年です。
その6年前、1901年にウィーンで開催された第10回分離派展で、クリムト作の『医学』という作品が公開されています。
外国に行ったことがないルソーですが、その写真画像を見た可能性はあります。
その絵に描かれている女を、蛇使いだと思って参考にしたのかも知れません。
人物の後ろの背景の塊と空間の抜けの配置が似ています。
インドニシキヘビは、水辺に生息しているので、ジャングルと水辺を描くことにしました。
参考にした絵が女なので、蛇使いは女になりました。
蛇使いの服装がわからないので、黒っぽい人影にして誤魔化しました。
横笛を吹かせると、笛が顔の右側に突き出るので、手の向きを左右反転させました。
女の画像を左右反転させると、手のポーズが似ています。
ルソーは、クリムトの絵を、表面的に参考にしただけで、その意味を深く理解せずに描いたのであろうと推察します。
なので、出来上がった絵は、とても謎めいた絵になりましたが、ルソー自身は、この蛇使いに特別な意味を込めていません。
これが私の仮説です。
なので、ルソーの絵はここまでにして、元ネタになったクリムトの『医学』のほうを見ていきましょう。
クリムトの絵に描かれいるのは、題名の『医学』の通りに、病と死に苦しむ人間たちの前に立ちはだかるギリシャ神話の医学の女神ヒュギエイアです。
ヒュギエイアは、アポロンの息子である医学の神アスクレーピオスの娘です。
女神が手に持ってるのは、薬の液体が入ったガラス杯です。
女神に絡みついて、杯の液体に頭を突っ込んでいる蛇は、父アスクレーピオスの杖カドゥケウスに絡みつく蛇と同様に、医学のシンボルとしてのクシスヘビです。
医学のシンボルが、なぜ蛇なのでしょう?
実は、ギリシャ神話によると、アスクレーピオスは死者を甦らせる薬を使うのですが、その薬というのは、女神アテナから授かったメドゥーサの血だったのです。
メドゥーサは、不死身だったので、その生き血は薬になりました。
メドゥーサは、元々は豊穣の女神で、とても美しい女性でしたが、その美しさに嫉妬した女神アテナによって、醜い蛇女に変えられてしまいました。
蛇女にされたことで不死身になったのだとすると、蛇には不老不死の力があるということです。
クリムトは、ベートーヴェンフリーズの中にメドゥーサを描いています。
それは、正面を向いて直立する裸婦の姿で描かれています。
クリムトは、同様の直立するポーズの裸婦『ヌーダ・ヴェリタス』も描いています。
ヌーダ・ヴェリタスでは、裸婦の足元に、意味ありげに蛇が描かれています。
そして、クリムトは、メドゥーサを蛇女に変えてしまったアテナの絵も描いていて、アテナの手に、ヌーダ・ヴェリタスの裸婦を持たせているのです。
おやおや? です。
もしやもしや? です。
その裸婦って、もしかしたら、蛇女に変えられてしまう前のメドゥーサの姿なのでは?
ヌーダ・ヴェリタスとは、裸の真実という意味です。
女の手には、手鏡があり、それをこちらに向けています。
鏡といえば、ペルセウスがメドゥーサの首を切りに行くとき、アテナがペルセウスに鏡の盾を持たせます。
それは、蛇女の姿を直接見ると石になってしまうので、鏡に映して見るためです。
だとすると、鏡に映ったメドゥーサは、蛇女ではなく、元の女神の姿に見えたのではないでしょうか?
それが真実の姿という意味なのかもしれません。
ペルセウスは、ヘルメスから、翼のついたサンダル、タラリアを借ります。
そのサンダルを使うと、空中を飛ぶように走ることができます。
このヘルメスという神様も、蛇が絡み付いた杖を持っています。
ヘルメスの杖は、ケーリュイオンといい、2匹の蛇が絡み合っています。
ヘルメスも、そもそもは豊穣の神で、子孫繁栄の道祖神として、直立した石像の姿で辻々に立っていたらしいのです。
それが、旅人にとって道標となり、ヘルメスが旅人の神様へと変わっていきます。
子孫繁栄の道祖神だとすると、男性のシンボルだけではなくて、女性のシンボルも存在していたはずです。
古代に豊穣の女神だったメドゥーサが、そのお相手の女性だったとしたら?
メドゥーサの姿を見たヘルメスが、石のように硬くなってしまったのだとしたら?
クリムトと同時代にウィーンで活躍した心理学者のフロイトが、メドゥーサについて言及しています。
私は読んでいませんが、フロイト全集の第17巻に、フロイトの見解がが書いてあるらしいのです。
それによると、メドゥーサは、女性器を暗示しているそうです。
興味深い話ですが、コンプライアンス委員会からダメ出しされそうです(笑)
また別の機会に、榎塾とかで、詳しくお話します。
クリムトは、その他にも、蛇に関係する絵を描いています。
『水蛇Ⅰ』と『水蛇Ⅱ』です。
クリムトは、ドイツ語で『Wasserschlangen(Freundinnen)』という題名を付けています。
直訳すれば『水蛇(女友達)』になります。
日本語訳の水蛇(ミズヘビ)は、陸上のヘビとウミヘビの中間のようなヘビです。
陸上のヘビと同じ形をしていますが、淡水中に生息していて、ほとんど陸には上がりません。
ウミヘビは、尾のほうがヒレ状に変形して、魚のように泳ぎ、海中に生息しています。
英訳で『The Hydra』と題名が意訳されている場合があって、それだと全く意味が違ってきます。
Hydra(ヒュドラ)は、ギリシャ神話の怪物で、九つの頭を持ち、沼に棲む大蛇です。
日本の神話に出て来る九頭竜や、ヤマタノオロチによく似た、大蛇型の竜です。
絵を見るかぎりでは、明らかにヒュドラとは違います。
欧米人の感覚としては、クリムトのことだから、ギリシャ神話を題材として、それを擬人化して、自分のガールフレンドをモデルにして描いたのだろう、と推察して、題名を意訳しているのでしょう。
たしかに、蛇といいながら、擬人化して描いているのは間違いないのですが。
しかし、神話のヒュドラを描いているのなら、頭が九つ必要ですが、女は二人とか、四人しか描かれていません。
これは、サブタイトルが女友達と書かれている通りに、裸の女同士が抱き合ったり、戯れている絵です。
背景に、水生生物や水草が描かれているので、女たちは水の中にいます。
おそらく、クリムトは、性的な行為の感覚を、水中で滑る蛇に喩えているのだと思います。
(コンプライアンス委員会を恐れず、ハッキリ言ってしまえば、水蛇とは水の中の蛇で、水の中の蛇とは女性器の中の男性器です)
妖艶な女たちが、見るものを誘惑する絵です。
ヨーロッパ人の精神構造は、古代ギリシャ神話が、深層心理の土台に在ります。
その土台の上に、キリスト教の聖書が、精神の支柱のように立てられています。
その支柱の上に、ルネッサンス以降の近代科学が、屋根のように載っています。
そう考えると、キリスト教的な蛇の解釈も載っかっていると思います。
蛇は、サタンの誘惑を意味する象徴でもあるからです。
人類にとって、西洋医学の発達は、知恵の樹の林檎を食べることかも知れません。
高度な知恵である科学の力によって、不死身の体を手に入れたとすると…
ヨーロッパ文化の構造を神殿の構造に喩えると、基礎の土台が古代ギリシャ文明、構造体の支柱がキリスト教信仰、屋根(ファサード)が近代科学です。
では、それと同じように、東アジア文化も建築物に喩えてみましょう。
基礎の土台になるのは、古代中国の黄河文明です。
構造体の支柱になるのは、仏教信仰です。
そして、屋根の部分は、ヨーロッパに遅れて近代化を進めています。
では、東アジアにおける、蛇に象徴される意味は何でしょう?
古代中国の思想には、陰陽五行思想や、神仙思想があります。
古代中国の天文学では、北極星を亀に喩え、北斗七星を蛇に喩えています。
ですから、北極星の周りを北斗七星が回っている様子を、石のように動かない亀、縄のように絡みつく蛇で表し、それを玄武と名付け、北の方角を守護する神様にしました。
蛇は、仏教的には、三毒の一つである『瞋(じん)』を象徴する動物として描かれます。
瞋(じん)とは、自分の思い通りにならないことに対する怒り・憎しみ・怨念の感情です。
そして、蛇は、絡みつくものとして、執着心にも喩えられます。
その反面、蛇が脱皮をする様子は、執着を捨てて『解脱』に至る喩えにも用いられます。
『蛇に睨まれた蛙』という諺があります。
獲物を狙う蛇に睨まれた蛙が、恐怖のあまりに、石にように固まって動けなくなる、という意味でが…
★ 京都大学で、蛙の行動の理由が科学的に解明されました。
つまり、蛇を見た蛙は、石のように固まりますが、蛙を見た蛇も、石のように固まります。
神道の注連縄(しめなわ)は、2匹の蛇が絡み合う形に由来するそうです。
古代ギリシャの道祖神、ヘルメスの杖、ケーリュイオンに共通します。
絡み合う蛇は、交尾をしています、子孫繁栄を象徴してるのです。
ギリシャ神話に、テイレシアスという盲目の予言者の話があります。
テイレシアスは男です。
ある日、酒に酔って山道を歩いていたテイレシアスが、交尾している蛇に遭遇します。
テイレシアスは、蛇を杖で打ちました。
すると、テイレシアスは女になってしまいました。
それから9年後、テイレシアスは、再び交尾中の蛇に遭遇します。
そしてまた、蛇を杖で打ちました。
すると、テイレシアスは、元の男に戻りました。
あるとき、ゼウスと妻のヘラが、男と女と、どちらのほうが性交による快感が大きいのかと言い争いになりました。
ヘラは、男と女と、どちらも経験しているテイレアシスに、その答えを尋ねました。
すると、テイレアシスは、男の快感が1で、女の快感が9と答えました。
その答えに怒ったヘラは、テイレアシスを盲目にしてしまいました。
この話は、交尾して絡み合う蛇が、雄雌(男女)が捩じれ、交差し、入れ替わっているようだ、と言いたいのでしょう。
『玄』という漢字は、注連縄のように、捩じった糸を表す象形文字です。
『弓』に『玄』を張ると、それは『弦』になります。
ヘルメスは、亀の甲羅に弦を張って、竪琴の元型のような楽器を作ったとされています。
亀に蛇が絡みついて玄武、亀の甲羅に弦を張ってヘルメスの竪琴。
いずれにせよ、ヘルメスが、蛇に関係してることは確かです。
蛇とメドゥーサも深く関係しています。
ヘルメスとメドゥーサの関係も、蛇のように絡み合っています。
ギリシャ神話では、ゼウスが、白鳥に変身したり、黄金の雨に変身したりして、女を襲います。
それと同様に、ヘルメスも、自ら蛇と化し、メドゥーサへと向かって行ったのかも知れません。
※ 閲覧注意(コンプライアンス委員会)→ 続きを読む
2024年05月26日
印象派絵画
★ 前回、美術教育というテーマで書きました。
その中で、アカデミックな美術教育について言及しました。
そして、西洋美術の完成形が印象派だと書きました。
それについて、解説します。
私は絵描きをやっているので、会話の中で「で、どんな絵が好きなんですか?」と、よく質問されます。
そのようなときに「印象派が好きです」と答えています。
その答えを聞くと、相手からは、おやおや、と微妙な反応をされる場合が多いです(笑)
人類は、原始人のころから、絵を描いていました。
原始人には、絵画の理論や技法は無く、本能のまま、感覚だけで描いていました。
古代文明が誕生して、設計(デザイン)や様式(スタイル)の概念が生まれます。
古代には、写実が発達したり、宗教的に抑圧されたり、紆余曲折ありました。
そして、中世には、ひたすら手本を模写して伝承する時代が続きました。
中世の終わりに、ヨーロッパで、科学という概念が確立され始めます。
その時代に生まれた芸術が、ルネッサンス芸術です。
ルネサンス芸術の画家はたくさんいますが、最も有名なのはレオナルド・ダ・ヴィンチですね。
一般的にルネッサンスという言葉は、文芸復興と訳され、古代ギリシャ・ローマの学問や芸術を再び学び直す運動と解釈されています。
しかし、そのような単純化した解釈ではなく、もっと複雑に、様々な文化が多層的に融合し、相乗効果で発展したと考えるべきでしょう。
ルネサンス絵画では、物の形が目にどう映るのか、科学的に考え始めます。
そこから、西洋絵画というアカデミックな絵画が始まるのです。
カメラオブスキュラという、現在のカメラの始まりのような装置は、古代ギリシャ時代から、その光学的な結像の現象が発見されていました。
ルネッサンスの時代には、装置に映し出された画像を描き写し、透視図法の研究が始まりました。
それによって、ルネッサンスの画家たちが発見したのは、消失点です。
消失点の発見によって、線遠近法という作図方法が発明されます。
それと同時に、光によって、明るい部分と陰や影の部分が出来て、陰影法によって立体的に見えるように描けることや、物の輪郭は、物と背景の明暗や色合いの差によってその境界が線的に見えるのであって、絵を描くときに便宜的に引かれる線は、現実には存在しないのだから描かないようになります。
色彩の色温度が変化する(青みがかる)のは大気遠近法で、明暗のコントラストが、強弱で変化するのが空気遠近法です。
そのようにして、近代に向かって研究が進んでいきます。
そうこうしているうちに、テクノロジーの進歩によって、19世紀に入ると写真が発明されます。
この写真の発明という大事件によって、西洋絵画は大転換期を迎えます。
画家の能力のうち、デッサン力は、写真に代替されてしまう、という危機感が、画家たちの間に走ります。
しかし、発明された当時の写真は、物の形を正確に写し取りましたが、視覚を再現するものではありませんでした。
初期の写真は、白黒写真で、色は映せませんでした。
そして、撮影には長い露光時間が必要だったので、動き、移ろいゆく一瞬のような映像は映せませんでした。
ですから、まだまだ人間だけに描ける絵画の領域は残されていました。
そこで、俄かに登場するのが印象派絵画です。
印象派絵画の画家はたくさんいますが、最も有名なのは、クロード・モネですね。
印象派絵画は、画家の直感力によって生み出されました。
後に科学的な分析が進むと、それらの技法が、光の性質を的確に捉えてることがわかります。
光は、白黒写真に置き換えると、明暗の差だけになりますが、カラー写真だと、色相の違い、彩度の差、明度の強弱、の三要素の組み合わせになります。
明度の強弱は、光のエネルギー量の差であり、白黒写真には明暗差で表れます。
色相や彩度は光のどんな性質なのかというと、光は電磁波ですから、その波長が色相として表れます。
その波長の純度が高いと彩度が高くなり、違う波長と干渉し合うことで彩度が低くなります。
光を音に喩えると、明暗の対比は、音の大小、音量対比になります。
ですから、黒は、黒色(無色)ではなく、色はあるのですが、光の強さが限りなく弱まる状態なのです。
色相の変化も、音に喩えて説明します。
可聴域の音波は、波長が長いと低い音に、波長が短いと高い音になります。
可聴域に対して、低すぎると低周波音、高すぎると超音波になり、人間の耳には聴こえなくなります。
それと似たように、可視光線は、波長が長いと赤色寄りに、波長が短いと紫色寄りになります。
赤と紫の中間域は、虹の七色のように、グラデーション変化します。
赤色よりも波長が長いと赤外線になり、紫色より波長が短いと紫外線になり、人間の目には見えなくなります。
太陽光線は、プリズム分解してみると、虹の七色の全ての波長が混在していることがわかります。
つまり、あらゆる色が内在され、異なる波長が交ざり合うことで、白色光に見えています。
物の色というのは、物の表面にある色素に白色光が当たった場合に、特定の波長の光だけを反射し、それ以外の波長の光を吸収、あるいは透過させてしまうために、その物の固有色として生じるのです。
白色光を、音に喩えると、ホワイトノイズになります。
ホワイトノイズとは、砂嵐(スナアラシ)と呼ばれる雑音のことです。
画家が使う絵の具というのは、特定の色相の波長の光を反射させる色素ということになります。
絵の具には、様々な色相の絵の具が揃っていますが、その明度や彩度のバリエーションは限られています。
色相は絵の具の混色によって変化させられますが、その場合に、絵の具の性質上、混色によって、彩度や明度も同時に変化してしまいます。
なので、絵の具同士を混ぜずに、彩度も明度も変化させずに、色相だけを混色させたい場合には、目の視覚的残像効果を利用して、鑑賞者の脳内で混色させるという方法があればいいのです。
それが、印象派によって考案された、筆触分割による視覚混合技法です。
後に、カラードットCMYK印刷や、カラーモニターRGBによる混色方式が開発されると、人間の目による色の感じ方には、三原色が関係していることがわかってきます。
人間の目の中の奥にある網膜の光の受容体の、色に反応する受容体が、三原色に対応していることがわかってくるのです(四原色の受容体を持つ人もいるらしい)。
つまり、波長の違う光の波が交ざって、それらの中間の波長の色が見えてくるのは、音に喩えるならば、三原色による三和音が作られているような感じです。
音楽の和音には、澄んだ音に聴こえる協和音と、濁った音に聴こえる不協和音があります。
絵の具を混ぜて色が濁るのは、音に例えるならば、不協和音に似た現象です。
音を混ぜずに和音を作る方法に、分散和音(アルペジオ)があります。
和音を分散することで、干渉波によるアボイドノート(回避音)を発生させないテクニックもあります。
絵画を音楽に喩えた場合、混色が和音で、筆触分割がアルペジオです。
印象派絵画からは音楽的なものを感じます、例えばこんな感じ。
スーラが研究していた理論(減色混合・加色混合)は、あくまでも物理学的な光の性質だけだったのです。
それを色として感じる人間の視覚は、目の仕組みを医学(解剖学・脳科学・心理学)的に研究することで解明されつつあります。
印象派の画家たちによって生み出された絵画技法は、先進的で高度なものでした。
しかし、それらが、その時代のその時点においては先進的であったとしても、テクノロジーの進歩は容赦なく追いつき、追い越していきます。
絵画理論としては、既に役目を終えた印象派絵画ですが、でも、やはり、その時代に、直感でテクノロジーの先を走っていた画家たちの筆致には、決して色褪せることのない魅力が宿っています。
子供の頃、美術に関係するテレビ番組をよく観ていました。
それらのほとんどは、イタリアのルネッサンス美術か、フランスの印象派絵画を取り扱う内容でした。
それらが、万人から好まれる絵であり、当時最も人気があったから、というのもあるのでしょうけれども、やはり、絵画の理論について、ルネッサンス絵画と印象派絵画を例に説明するのは理に適っているからでしょう。
私は、絵画の基礎となる知識の大半を、印象派絵画を通して学んだような気がします。
その後、美大受験を志すようになり、本格的に絵の勉強を始め、東京藝大に入学して、専門的な研究もしますが、やはり、根底の部分には、絵画といったら印象派が好き、という印象が残っています。
印象派の後に、素朴派(ナイーヴ・アート)が登場します。
ナイーヴ派の画家はたくさんいますが、最も有名なのは、アンリ・ルソーですね。
ナイーヴ・アートと、よく似た意味で用いられるプリミティブ・アートがあります。
プリミティブ・アートというのは、プリ(ラテン語のprimus)から始まる言葉ですから、最初の、原始の、それ以前の、という意味の言葉です。
プリミティブなアートは、ルネッサンス以前の、まだアカデミーが無い時代のアートを意味します。
その他に、アウトサイダー・アートや、アール・ブリュットという言葉も、よく耳にします。
どれも、共通しているのは、アカデミックな美術教育を受けていないということです。
アカデミックな美術教育というのは、ご説明した通りの、ルネッサンスから始まる、科学的で客観的な、遠近法と色彩学を学ぶことです。
このようなアカデミックな教育を受けない理由に何があるでしょう?
アウトサイダー・アートというのは、アウトサイドですから、部外者によるアートという意味の言葉です。
この場合の部外者とは、疎外されているという意味ではなく、そもそも独自の価値観で別行動しているか、理由があって仲間に入れず、別行動をせざるをえない人々のアートです。
アール・ブリュットは、フランス語で、生の芸術という意味の言葉です。
社会生活や教育の影響を受けず(受けることが出来ない)、本能のままに制作されるアートです。
では、ナイーヴ(素朴)アートとは何でしょう?
先ず、印象派よりも後に登場したので、時代的にプリミティブではありません。
別行動をしてるわけでも、疎外されているわけでもないので、アウトサイダーでもありません。
普通に社会生活をして、独学で学んだりしているので、ブリュットでもありません。
ナイーヴという言葉の語源は、生まれたままの状態、という意味です。
未経験、無知、鍛えられていない、という意味で用いられる言葉です。
ですから、ただ単に、やってない奴、ということになります(笑)
我々人間の脳は、目を通して外界を見ています。
目に見えた外界を、見えた通りに絵に描こうとして発達を遂げたのが、アカデミックな西洋絵画ですが、最終的にはテクノロジーの進歩に追い抜かれ、その役目を終了しました。
ですから、行き場を失ったアーティストたちが、別の価値観を探すために右往左往し始めたわけです。
もう外側の世界にばかり目を向けるのをやめよう、目玉を反転させて、頭の中を見よう、と思い始めます。
しかし、アカデミックな美術教育を受けてしまった人が、それを忘れて目を閉じるのは、とても難しいことなのです。
ピカソが、子供のころに描いていたアカデミックな絵画から、プリミティブ・アートを模倣したり、遠近法を無視したキュビズムの絵画を描いたり、目まぐるしく変化している様子を見ると、悩み、もがき苦しんでいるように見えます。
それに対して、アンリ・ルソーは、何も考えず、子供が遊んでいるかのように、愉しそうに描いています。
基本的に、絵というのは、描いている本人が楽しければ、それでいいのです。
見る人がどうのこうの言うものではありません。
しかし、何故これをこんな風に描いたんだろうと、ああだのこうだの言うのも、それも愉しいものです。
私がルソーの絵の中で1番好きな『蛇使いの女』について、次回、書きます。
謎に満ちた絵ですし、来年は巳年ということで、蛇の絵を描かなくちゃならないので、蛇使いの女から少し広げて、蛇についても考えてみたいと思います。
その中で、アカデミックな美術教育について言及しました。
そして、西洋美術の完成形が印象派だと書きました。
それについて、解説します。
私は絵描きをやっているので、会話の中で「で、どんな絵が好きなんですか?」と、よく質問されます。
そのようなときに「印象派が好きです」と答えています。
その答えを聞くと、相手からは、おやおや、と微妙な反応をされる場合が多いです(笑)
人類は、原始人のころから、絵を描いていました。
原始人には、絵画の理論や技法は無く、本能のまま、感覚だけで描いていました。
古代文明が誕生して、設計(デザイン)や様式(スタイル)の概念が生まれます。
古代には、写実が発達したり、宗教的に抑圧されたり、紆余曲折ありました。
そして、中世には、ひたすら手本を模写して伝承する時代が続きました。
中世の終わりに、ヨーロッパで、科学という概念が確立され始めます。
その時代に生まれた芸術が、ルネッサンス芸術です。
ルネサンス芸術の画家はたくさんいますが、最も有名なのはレオナルド・ダ・ヴィンチですね。
一般的にルネッサンスという言葉は、文芸復興と訳され、古代ギリシャ・ローマの学問や芸術を再び学び直す運動と解釈されています。
しかし、そのような単純化した解釈ではなく、もっと複雑に、様々な文化が多層的に融合し、相乗効果で発展したと考えるべきでしょう。
ルネサンス絵画では、物の形が目にどう映るのか、科学的に考え始めます。
そこから、西洋絵画というアカデミックな絵画が始まるのです。
カメラオブスキュラという、現在のカメラの始まりのような装置は、古代ギリシャ時代から、その光学的な結像の現象が発見されていました。
ルネッサンスの時代には、装置に映し出された画像を描き写し、透視図法の研究が始まりました。
それによって、ルネッサンスの画家たちが発見したのは、消失点です。
消失点の発見によって、線遠近法という作図方法が発明されます。
それと同時に、光によって、明るい部分と陰や影の部分が出来て、陰影法によって立体的に見えるように描けることや、物の輪郭は、物と背景の明暗や色合いの差によってその境界が線的に見えるのであって、絵を描くときに便宜的に引かれる線は、現実には存在しないのだから描かないようになります。
色彩の色温度が変化する(青みがかる)のは大気遠近法で、明暗のコントラストが、強弱で変化するのが空気遠近法です。
そのようにして、近代に向かって研究が進んでいきます。
そうこうしているうちに、テクノロジーの進歩によって、19世紀に入ると写真が発明されます。
この写真の発明という大事件によって、西洋絵画は大転換期を迎えます。
画家の能力のうち、デッサン力は、写真に代替されてしまう、という危機感が、画家たちの間に走ります。
しかし、発明された当時の写真は、物の形を正確に写し取りましたが、視覚を再現するものではありませんでした。
初期の写真は、白黒写真で、色は映せませんでした。
そして、撮影には長い露光時間が必要だったので、動き、移ろいゆく一瞬のような映像は映せませんでした。
ですから、まだまだ人間だけに描ける絵画の領域は残されていました。
そこで、俄かに登場するのが印象派絵画です。
印象派絵画の画家はたくさんいますが、最も有名なのは、クロード・モネですね。
印象派絵画は、画家の直感力によって生み出されました。
後に科学的な分析が進むと、それらの技法が、光の性質を的確に捉えてることがわかります。
光は、白黒写真に置き換えると、明暗の差だけになりますが、カラー写真だと、色相の違い、彩度の差、明度の強弱、の三要素の組み合わせになります。
明度の強弱は、光のエネルギー量の差であり、白黒写真には明暗差で表れます。
色相や彩度は光のどんな性質なのかというと、光は電磁波ですから、その波長が色相として表れます。
その波長の純度が高いと彩度が高くなり、違う波長と干渉し合うことで彩度が低くなります。
光を音に喩えると、明暗の対比は、音の大小、音量対比になります。
ですから、黒は、黒色(無色)ではなく、色はあるのですが、光の強さが限りなく弱まる状態なのです。
色相の変化も、音に喩えて説明します。
可聴域の音波は、波長が長いと低い音に、波長が短いと高い音になります。
可聴域に対して、低すぎると低周波音、高すぎると超音波になり、人間の耳には聴こえなくなります。
それと似たように、可視光線は、波長が長いと赤色寄りに、波長が短いと紫色寄りになります。
赤と紫の中間域は、虹の七色のように、グラデーション変化します。
赤色よりも波長が長いと赤外線になり、紫色より波長が短いと紫外線になり、人間の目には見えなくなります。
太陽光線は、プリズム分解してみると、虹の七色の全ての波長が混在していることがわかります。
つまり、あらゆる色が内在され、異なる波長が交ざり合うことで、白色光に見えています。
物の色というのは、物の表面にある色素に白色光が当たった場合に、特定の波長の光だけを反射し、それ以外の波長の光を吸収、あるいは透過させてしまうために、その物の固有色として生じるのです。
白色光を、音に喩えると、ホワイトノイズになります。
ホワイトノイズとは、砂嵐(スナアラシ)と呼ばれる雑音のことです。
画家が使う絵の具というのは、特定の色相の波長の光を反射させる色素ということになります。
絵の具には、様々な色相の絵の具が揃っていますが、その明度や彩度のバリエーションは限られています。
色相は絵の具の混色によって変化させられますが、その場合に、絵の具の性質上、混色によって、彩度や明度も同時に変化してしまいます。
なので、絵の具同士を混ぜずに、彩度も明度も変化させずに、色相だけを混色させたい場合には、目の視覚的残像効果を利用して、鑑賞者の脳内で混色させるという方法があればいいのです。
それが、印象派によって考案された、筆触分割による視覚混合技法です。
後に、カラードットCMYK印刷や、カラーモニターRGBによる混色方式が開発されると、人間の目による色の感じ方には、三原色が関係していることがわかってきます。
人間の目の中の奥にある網膜の光の受容体の、色に反応する受容体が、三原色に対応していることがわかってくるのです(四原色の受容体を持つ人もいるらしい)。
つまり、波長の違う光の波が交ざって、それらの中間の波長の色が見えてくるのは、音に喩えるならば、三原色による三和音が作られているような感じです。
音楽の和音には、澄んだ音に聴こえる協和音と、濁った音に聴こえる不協和音があります。
絵の具を混ぜて色が濁るのは、音に例えるならば、不協和音に似た現象です。
音を混ぜずに和音を作る方法に、分散和音(アルペジオ)があります。
和音を分散することで、干渉波によるアボイドノート(回避音)を発生させないテクニックもあります。
絵画を音楽に喩えた場合、混色が和音で、筆触分割がアルペジオです。
印象派絵画からは音楽的なものを感じます、例えばこんな感じ。
印象派の末期に、スーラなどがやり始めた、点描による加色混合は、画家の直感によって生み出された技法ではなく、色彩理論先行の技法で、それによって、もはや目に見えた印象を描くという目的の印象派絵画は終了します。
理屈が人間を置き去りにする感じを音楽に喩えたらこんな感じ。
スーラが研究していた理論(減色混合・加色混合)は、あくまでも物理学的な光の性質だけだったのです。
それを色として感じる人間の視覚は、目の仕組みを医学(解剖学・脳科学・心理学)的に研究することで解明されつつあります。
印象派の画家たちによって生み出された絵画技法は、先進的で高度なものでした。
しかし、それらが、その時代のその時点においては先進的であったとしても、テクノロジーの進歩は容赦なく追いつき、追い越していきます。
絵画理論としては、既に役目を終えた印象派絵画ですが、でも、やはり、その時代に、直感でテクノロジーの先を走っていた画家たちの筆致には、決して色褪せることのない魅力が宿っています。
子供の頃、美術に関係するテレビ番組をよく観ていました。
それらのほとんどは、イタリアのルネッサンス美術か、フランスの印象派絵画を取り扱う内容でした。
それらが、万人から好まれる絵であり、当時最も人気があったから、というのもあるのでしょうけれども、やはり、絵画の理論について、ルネッサンス絵画と印象派絵画を例に説明するのは理に適っているからでしょう。
私は、絵画の基礎となる知識の大半を、印象派絵画を通して学んだような気がします。
その後、美大受験を志すようになり、本格的に絵の勉強を始め、東京藝大に入学して、専門的な研究もしますが、やはり、根底の部分には、絵画といったら印象派が好き、という印象が残っています。
印象派の後に、素朴派(ナイーヴ・アート)が登場します。
ナイーヴ派の画家はたくさんいますが、最も有名なのは、アンリ・ルソーですね。
ナイーヴ・アートと、よく似た意味で用いられるプリミティブ・アートがあります。
プリミティブ・アートというのは、プリ(ラテン語のprimus)から始まる言葉ですから、最初の、原始の、それ以前の、という意味の言葉です。
プリミティブなアートは、ルネッサンス以前の、まだアカデミーが無い時代のアートを意味します。
その他に、アウトサイダー・アートや、アール・ブリュットという言葉も、よく耳にします。
どれも、共通しているのは、アカデミックな美術教育を受けていないということです。
アカデミックな美術教育というのは、ご説明した通りの、ルネッサンスから始まる、科学的で客観的な、遠近法と色彩学を学ぶことです。
このようなアカデミックな教育を受けない理由に何があるでしょう?
アウトサイダー・アートというのは、アウトサイドですから、部外者によるアートという意味の言葉です。
この場合の部外者とは、疎外されているという意味ではなく、そもそも独自の価値観で別行動しているか、理由があって仲間に入れず、別行動をせざるをえない人々のアートです。
アール・ブリュットは、フランス語で、生の芸術という意味の言葉です。
社会生活や教育の影響を受けず(受けることが出来ない)、本能のままに制作されるアートです。
では、ナイーヴ(素朴)アートとは何でしょう?
先ず、印象派よりも後に登場したので、時代的にプリミティブではありません。
別行動をしてるわけでも、疎外されているわけでもないので、アウトサイダーでもありません。
普通に社会生活をして、独学で学んだりしているので、ブリュットでもありません。
ナイーヴという言葉の語源は、生まれたままの状態、という意味です。
未経験、無知、鍛えられていない、という意味で用いられる言葉です。
ですから、ただ単に、やってない奴、ということになります(笑)
我々人間の脳は、目を通して外界を見ています。
目に見えた外界を、見えた通りに絵に描こうとして発達を遂げたのが、アカデミックな西洋絵画ですが、最終的にはテクノロジーの進歩に追い抜かれ、その役目を終了しました。
ですから、行き場を失ったアーティストたちが、別の価値観を探すために右往左往し始めたわけです。
もう外側の世界にばかり目を向けるのをやめよう、目玉を反転させて、頭の中を見よう、と思い始めます。
しかし、アカデミックな美術教育を受けてしまった人が、それを忘れて目を閉じるのは、とても難しいことなのです。
ピカソが、子供のころに描いていたアカデミックな絵画から、プリミティブ・アートを模倣したり、遠近法を無視したキュビズムの絵画を描いたり、目まぐるしく変化している様子を見ると、悩み、もがき苦しんでいるように見えます。
それに対して、アンリ・ルソーは、何も考えず、子供が遊んでいるかのように、愉しそうに描いています。
基本的に、絵というのは、描いている本人が楽しければ、それでいいのです。
見る人がどうのこうの言うものではありません。
しかし、何故これをこんな風に描いたんだろうと、ああだのこうだの言うのも、それも愉しいものです。
私がルソーの絵の中で1番好きな『蛇使いの女』について、次回、書きます。
謎に満ちた絵ですし、来年は巳年ということで、蛇の絵を描かなくちゃならないので、蛇使いの女から少し広げて、蛇についても考えてみたいと思います。
posted by eno at 17:56| 考察・小論
|
2024年05月23日
美術とか、美術教育とか
先日、タレントで美術解説で人気の山田五郎さんとお会いして、少しお話をする機会がありました。
その時、話の中で「今の日本の美術教育ってどうなの?」という話題になりました。
五郎さんは、YouTubeチャンネル『オトナの教養講座』でも度々、今の日本の美術教育の問題点を挙げています。
日本の美術の授業は実技ばかりやらせていて、それ以外(美術史や美術鑑賞)を疎かにしています。
かといって、絵が巧く描けるように習練させているわけでもなく、むしろ巧く描くよりも、個性とか感性で描きなさいとか、掴みどころの無い要求をしてきます。
個性・感性は、個々人の自発的課題であり、学校教育で全員に強制する課題なのでしょうか?
いきなり個性や感性で表現しろと言われても、何をしていいのかわからないでしょう。
先ずは、何か手本になるものを見て、それを目指す習練の中から、自分の個性や感性が表れてくるのでは?
ですから、先ずは、美術作品を鑑賞する体験を通して、美術を知って理解することから始めて欲しいです。
皆が良いと言うものをありがたがる風潮に流されず、自分自身の審美眼を育てる教育が必要です。
そして、自分の個性や感性で判断できるようになったら、自分が選んだ方向に進んでいけばいいのです。
美術大学に進んだら、卒業して、実社会に出てプロのアーティストを目指すと思うのですが…
誤解のないように言っておくと、現在、美術教育の現場で尽力されている先生方を批判しているわけではありません。
個々に見れば、それぞれの教育者は、それぞれの信念に基づき、立派な教育をなさっています。
しかし、日本の美術教育全体の仕組みを見ると、何がしたいのか、その目的が見えてきません。
例えば、私(榎俊幸)に絵を習いたい人は、榎塾という画塾の受講生になれます。
直接私に習えば、私の個人的な、個性・感性に基づく技術を学ぶことが出来ます。
そして、私が考える、画家として生きていくために必要な知識や考え方をお伝えします。
榎塾に入学試験はありません。
では、榎塾に来る前に、何が必要でしょうかか?
それは、絵の先生なら誰でもいい訳ではなくて、自分が習いたい先生を選ぶこと、それだけです。
先ずは、広く様々な学びの体験をして、美術を見る目を養って、自分が何に興味を持つか?
知識・教養としては、美術史の文脈を理解し、アカデミックな美術教育を受けておくほうがいいでしょう。
私も、東京藝大に行って、美術の基礎実技を一通り広く浅く学んでみて、その結果として、自分の進む方向性が見えてきました。
そして、学校の先生になりたかったら、学校の先生に習うことです。
プロのアーティストになりたいなら、プロのアーティストから学ぶことです。
とてもシンプルな考え方です。
アカデミックな美術教育とは、美術史の中において、ルネッサンス絵画(レオナルド・ダ・ヴィンチ)から始まり、印象派(モネ)で終わる、光学的な結像を追求した絵画の理論を学ぶことです。
つまり、最終的には印象派絵画が、西洋絵画の完成形ということです。
それについては、あらためて次回に書きます。
美術を見る目は、感性と、知識が必要です。
綺麗だな、好きだな、と思うのが感性です。
私は、創作をする立場なので、先ずは感性を優先するようにしています。
なので、見たものを直感的に理解することから始まります。
後から、論理的に分析していきます。
分析とは、言語化することです。
言語化することで、知識と照合できます。
知識と照合することで、分析結果に意味付けをしていきます。
最初から分析的に見ていくこともできます。
例えば、ワインのソムリエが、ワインをテイスティングすときに、最初からエチケット(ラベル)に書かれた文字情報から、これがどんなワインか判断してしまうようなものです。
文字情報を伏せたブラインドテイスティングだとしても、色、香り、味、それぞれの感覚情報を、記憶と照合しながら次々と言語化して、それがどのようなワインなのか、推理していくことができます。
それと似たような物の見方で美術を見るのが、美術研究者の見方です。
では、ワイン生産者である醸造家のワインテイスティングだったらどうでしょう?
おそらくですが、醸造家が生産者として仕事をしているとき、感覚を言語化しないで、非言語的情報のままで、直感的に良し悪しを判定し、どうするべきかを選択していると思います。
言語化が文字記号を読むのに対して、文章の行間を読むみたいな、勘のようなことが直感的な理解です。
山田五郎さんがYouTubeで、小説家の又吉直樹さんと、太宰治が見たベックリンの絵を探す、というテーマで対談をしていました。
私は又吉さんも大好きで、優れた文筆家だと思います。
やはり又吉さんは直感が鋭いと思いますが、その後の詰めが甘いんです(笑)
それに対して五郎さんの分析的な読み解き力がすごいんですよ(笑)
結果的に、又吉さんが、これだと判断したベックリンの絵は、太宰治が見た絵ではないみたいで、それに近い、ちょっと違う作品があるに違いない、という結論になりましたが、その作品は見つかりませんでした。
その絵は、美術史の文脈からは、それほど価値があるとは言えないかも知れませんが、日本文学との関係性において、とても価値のある作品です、見てみたいです。
描いた作者が作品に込めた意味ではなく、それを見た鑑賞者によって、後から付加された意味、付加価値です。
私も、どちらかと言えば、直感が優先して分析が甘いタイプなので、主観的に面白い推論で話を盛ってしまったり、都合の悪い矛盾はスルーしてしまったり(笑)
もっと客観的に、エビデンスを積み上げて、結論を導き出さなくてはなりませんね。
私も、そんな感じでこれから、謎のある美術作品について分析してみたいです。
その時、話の中で「今の日本の美術教育ってどうなの?」という話題になりました。
五郎さんは、YouTubeチャンネル『オトナの教養講座』でも度々、今の日本の美術教育の問題点を挙げています。
日本の美術の授業は実技ばかりやらせていて、それ以外(美術史や美術鑑賞)を疎かにしています。
かといって、絵が巧く描けるように習練させているわけでもなく、むしろ巧く描くよりも、個性とか感性で描きなさいとか、掴みどころの無い要求をしてきます。
個性・感性は、個々人の自発的課題であり、学校教育で全員に強制する課題なのでしょうか?
いきなり個性や感性で表現しろと言われても、何をしていいのかわからないでしょう。
先ずは、何か手本になるものを見て、それを目指す習練の中から、自分の個性や感性が表れてくるのでは?
ですから、先ずは、美術作品を鑑賞する体験を通して、美術を知って理解することから始めて欲しいです。
皆が良いと言うものをありがたがる風潮に流されず、自分自身の審美眼を育てる教育が必要です。
そして、自分の個性や感性で判断できるようになったら、自分が選んだ方向に進んでいけばいいのです。
美術大学に進んだら、卒業して、実社会に出てプロのアーティストを目指すと思うのですが…
誤解のないように言っておくと、現在、美術教育の現場で尽力されている先生方を批判しているわけではありません。
個々に見れば、それぞれの教育者は、それぞれの信念に基づき、立派な教育をなさっています。
しかし、日本の美術教育全体の仕組みを見ると、何がしたいのか、その目的が見えてきません。
例えば、私(榎俊幸)に絵を習いたい人は、榎塾という画塾の受講生になれます。
直接私に習えば、私の個人的な、個性・感性に基づく技術を学ぶことが出来ます。
そして、私が考える、画家として生きていくために必要な知識や考え方をお伝えします。
榎塾に入学試験はありません。
では、榎塾に来る前に、何が必要でしょうかか?
それは、絵の先生なら誰でもいい訳ではなくて、自分が習いたい先生を選ぶこと、それだけです。
先ずは、広く様々な学びの体験をして、美術を見る目を養って、自分が何に興味を持つか?
知識・教養としては、美術史の文脈を理解し、アカデミックな美術教育を受けておくほうがいいでしょう。
私も、東京藝大に行って、美術の基礎実技を一通り広く浅く学んでみて、その結果として、自分の進む方向性が見えてきました。
そして、学校の先生になりたかったら、学校の先生に習うことです。
プロのアーティストになりたいなら、プロのアーティストから学ぶことです。
とてもシンプルな考え方です。
アカデミックな美術教育とは、美術史の中において、ルネッサンス絵画(レオナルド・ダ・ヴィンチ)から始まり、印象派(モネ)で終わる、光学的な結像を追求した絵画の理論を学ぶことです。
つまり、最終的には印象派絵画が、西洋絵画の完成形ということです。
それについては、あらためて次回に書きます。
美術を見る目は、感性と、知識が必要です。
綺麗だな、好きだな、と思うのが感性です。
私は、創作をする立場なので、先ずは感性を優先するようにしています。
なので、見たものを直感的に理解することから始まります。
後から、論理的に分析していきます。
分析とは、言語化することです。
言語化することで、知識と照合できます。
知識と照合することで、分析結果に意味付けをしていきます。
最初から分析的に見ていくこともできます。
例えば、ワインのソムリエが、ワインをテイスティングすときに、最初からエチケット(ラベル)に書かれた文字情報から、これがどんなワインか判断してしまうようなものです。
文字情報を伏せたブラインドテイスティングだとしても、色、香り、味、それぞれの感覚情報を、記憶と照合しながら次々と言語化して、それがどのようなワインなのか、推理していくことができます。
それと似たような物の見方で美術を見るのが、美術研究者の見方です。
では、ワイン生産者である醸造家のワインテイスティングだったらどうでしょう?
おそらくですが、醸造家が生産者として仕事をしているとき、感覚を言語化しないで、非言語的情報のままで、直感的に良し悪しを判定し、どうするべきかを選択していると思います。
言語化が文字記号を読むのに対して、文章の行間を読むみたいな、勘のようなことが直感的な理解です。
山田五郎さんがYouTubeで、小説家の又吉直樹さんと、太宰治が見たベックリンの絵を探す、というテーマで対談をしていました。
私は又吉さんも大好きで、優れた文筆家だと思います。
やはり又吉さんは直感が鋭いと思いますが、その後の詰めが甘いんです(笑)
それに対して五郎さんの分析的な読み解き力がすごいんですよ(笑)
結果的に、又吉さんが、これだと判断したベックリンの絵は、太宰治が見た絵ではないみたいで、それに近い、ちょっと違う作品があるに違いない、という結論になりましたが、その作品は見つかりませんでした。
その絵は、美術史の文脈からは、それほど価値があるとは言えないかも知れませんが、日本文学との関係性において、とても価値のある作品です、見てみたいです。
描いた作者が作品に込めた意味ではなく、それを見た鑑賞者によって、後から付加された意味、付加価値です。
私も、どちらかと言えば、直感が優先して分析が甘いタイプなので、主観的に面白い推論で話を盛ってしまったり、都合の悪い矛盾はスルーしてしまったり(笑)
もっと客観的に、エビデンスを積み上げて、結論を導き出さなくてはなりませんね。
私も、そんな感じでこれから、謎のある美術作品について分析してみたいです。
posted by eno at 18:02| 思った事
|
2024年05月18日
大吉原展・テルマエ展
5月17日は、東京上野の東京藝術大学美術館へ『大吉原展』を観に行きました。
その後、新橋のパナソニック美術館へ『テルマエ展』を観に行きました。
その後、早稲田のドラードギャラリーで、山田五郎さんとお会いしました。
五郎さんには、私のロボットをプレゼントしました。
五郎さんからは、作品集の推薦文を頂戴しました。
五郎さんのYouTubeの教養講座のお話しや、色々美術のお話しをして、愉しい時間を過ごしました。
その後、新橋のパナソニック美術館へ『テルマエ展』を観に行きました。
その後、早稲田のドラードギャラリーで、山田五郎さんとお会いしました。
五郎さんには、私のロボットをプレゼントしました。
五郎さんからは、作品集の推薦文を頂戴しました。
五郎さんのYouTubeの教養講座のお話しや、色々美術のお話しをして、愉しい時間を過ごしました。
posted by eno at 16:46| 日記
|