五月五日は端午の節句、そして子供の日、その前後の時期に『鯉のぼり』を飾る。
日本人なら誰でも知っている鯉のぼりだが、その意味や謎を考えたことがあるだろうか?
『鯉』は、世界中の川や湖に生息するポピュラーな淡水魚である。
『のぼり』は、漢字で書くと【幟】で、幟旗のことである。
幟旗の起源を辿ると、平安時代では『流れ旗』、チチを付けて竿を通すようになってから『乳付旗』『耳付旗』などと呼ばれ、神事に用いられていた。
戦国時代、戦場で武器に目印としてつけた布を、『巾』に『音』と『戈(ほこ=武器の矛)』を組み合わせた『幟』という漢字で表し、戦場で敵と味方を識別する目印として使用されるように進化した旗が『幟旗(のぼりばた)』と呼ばれるようになった。
端午の節句は、古代中国春秋戦国時代の政治家『屈原(くつげん)』が、陰謀により川に身を投げたとされる故事に由来し、五月五日に供養を行ったとされるのが始まりで、奈良時代の日本に伝わり、厄払いの行事として薬草の湯に浸かることから、この季節の菖蒲を湯に入れるようになり、鎌倉時代には武家の祭りとなり、鎧兜などの武具を飾った。
江戸時代になると、幟旗の布に武者絵が描かれた『武者絵のぼり』を飾るようになる。
江戸時代中頃には、その風習が一般庶民にも広まり、男子の成長を祝う祭りになる。
幟旗の絵柄が、武者絵から変化して、鯉が瀧を登る絵が、盛んに描かれるようになる。
明治時代になると、鯉の形の吹き流しへと変化し、現在のような鯉のぼりになる。
では、なぜ武者から鯉に変わったのだろうか?
端午の節句とは関係ないが『登龍門』という古代中国の故事があって、それに由来して、鯉の瀧登りが、男子の立身出世を祈願する絵柄だと考えられたから、というのが定説になっている。
中国の黄河は、その源流まで遡ると、雲よりも高い標高5000メートルのチベット高原の湿地帯に達する。
その水源は崑崙山脈である。
黄河に棲む大魚(おそらくチョウザメと考えられる)が、もし黄河を遡り、その上流にある龍門と呼ばれる渓谷の急流を登りきることができたならば、龍になることが出来るだろう、と書かれた故事がある。
その伝説が日本に伝わり、急流は瀧に変わり、何故か鯉が登りきった事にされている。
伝説の瀧や、魚が龍になるなど、それらは作り話であって、現実にはあり得ない。
だが、古代人が、何の根拠も無しに、そのような空想をするとも思えない。
荒唐無稽な話のようだが、やはり、何かしらそれに似た現象を目撃したに違いない。
一つの考え方として、黄河と同様に、中国を代表する大河である揚子江の上流は、ヒマラヤ山脈の方向に遡り、源流は『通天河』と呼ばれている。
その水源のヒマラヤ山脈を越えてネパール側に降りると、チトワン湿地帯があり、そこにはワニが生息している。
揚子江にも、揚子江ワニが生息していることから、殷の時代に龍のモデルとなった生き物であるワニが生息するのならば、ヒマラヤ山脈こそ龍門を意味することになるだろう。
だが、それでは瀧登りではなく山登りになってしまい、黄河ではなく揚子江の伝説になってしまう。
この解釈では納得できない。
『のぼり』という言葉は、物としての幟旗を意味する以前に、その動作を表す。
例えば『うなぎのぼり』の場合は、漢字で【鰻上り・鰻登り】と書く。
横方向に流れる動きではなくて、縦方向に上昇する動きが、本来の『のぼり』の意味だ。
日本の鯉に、何か特別な、上る様な行動が見られるのだろうか?
例えば、秋に鮭が川を遡上するように、五月ころ、鯉も遡上し、瀧を登るのだろうか?
鮭は海で育ち、産卵のために川を上り、逆に鰻は産卵のために川を下って海に行く。
しかし、鯉は上りも下りもしない、いつも同じ川や湖に留まっている。
日本の気候は、五月頃になると、温かくなる地表からの上昇気流と、まだ冷たい上空の寒気がぶつかり合い、雷雲が発生し、空から大粒の雹が降ってくる。
この時期が、鯉のぼりの季節である。
だとすると、鯉のぼりは、上昇気流と何かしら関係があるのかも知れない。
実は、鯉が空に昇る気象現象が、実際にあった可能性が高い。
ファフロッキーズ現象と、ウォータースパウトだ。
ファフロッキーズ現象とは、空から魚が降って来る怪現象のことで、古くは中世から世界各地に同様の記録が残されている。
もちろん日本でも、実際にくり返し発生している現象だ。
なぜそんな現象が発生するのだろうか?
様々な理由が考えられるが、その一つとして有力な仮説が、ウォータースパウトである。
ウォータースパウトとは、竜巻の一種である。
川や湖に発生する上昇気流が、地表の水を雲の高さまで吸い上げてしまう現象だ。
天と地を繋ぐ水柱となる。
ウォータースパウトは、川や湖の水と一緒に、その中にいる魚も吸い上げてしまい、その結果として、空から魚を降らせる現象に至る。
龍門の瀧とは、常に存在する地上の瀧ではなく、突如出現する、空中を上昇する水柱のことではないだろうか?
その姿こそが、あたかも昇龍の出現の様であり、水柱に巻き上げられた魚こそが、鯉のぼりの正体に他ならない。
龍門の故事から鯉のぼりまでの発想の飛躍は、江戸時代の人々が目にした驚きの体験に起因しているのではなかろうか?
五月の空に鯉が舞う。
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