2023年07月24日

君たちはどう生きるか

スタジオジブリ制作、宮﨑駿監督長編アニメーション映画『君たちはどう生きるか』を観ました。
例によって公開初日に鑑賞した友人(日本画家のS氏)から、最速で感想(ネタバレ無し)を聞き、世間の評判も耳に入れつつ、三日間やり過ごし、その間に心の準備を整えつつ、満を持して鑑賞してまいりました。
一発勝負!その1回しか観ていません。
それから一週間ほど経ちましたが、2回目は観なくても、完全謎解き解説が書けそうな感触を得たので、そろそろ書いてみます。
もちろん、完全ネタバレ解禁で書きます。
なので、既に映画『君たちはどう生きるか』を鑑賞した人だけが読む前提で、観ればわかる内容は省略して書きます。
未鑑賞の方が(自己責任において)お読みになるのも自由ですが、できればご鑑賞後にお読みいただくことをおすすめします。

【警告】以下ネタバレあり!

オープニングシーンは、戦争中の東京です。
東京のどこなのか?
街の風景を見ると、東京の下町であることがわかります。
そして、この作品が、宮崎駿監督の自伝的な作品であることから、生家の飛行機工場が在った、墨田区亀沢町(JR両国と錦糸町駅の間)の近辺だと推定します。
この冒頭シーンの短い映像が、絵も上手い、動きも上手い、見せ方も上手い、文句なしに映画全体の中で、最もクオリティーの高い、最大の見せ場でした。

空襲で母親(ヒサコ)を亡くし、父親(ショウイチ)の工場も焼けてしまった牧一家は、ヒサコの実家の地方都市に疎開します。
ヒサコの実家には、ヒサコに瓜二つの妹のナツコがいて、ショウイチの再婚相手になり、既にお腹の中には子供がいます。
このストーリー展開は、ネットに書かれていて知りましたが、ジョン・コナリー著『失われたものたちの本』と、酷似しています。
ようするに、物語の下敷きになった原作本が、吉野源三郎著『君たちはどういきるか』ではなく、ジョン・コナリー著『失われたものたちの本』だった、ということです。
原作では、思春期のデーヴィッド少年と、継母ローズとの微妙な関係みたいなことが描かれているのだろうと思います(読んでいませんが)。
この映画も、そんな感じを、薄っす~く仄めかしています。
その性的な臭い、抑圧された恋慕の仄めかしは、いかにも厨二病なので、観る人の中の厨二度によって、感受の度合いも違ってくるんだろうなと思います。
厨二病的に見れば、この話しはエヴァンゲリオンみたいなのです。
眞人はシンジ、大叔父さんがゲンドウに見えるはずです。

ショウイチの工場も疎開先に移転します。
実際の宮崎駿監督の実家は、栃木県宇都宮市(工場は鹿沼市)に移転したので、この映画でも、疎開先の情景はそんな感じです。
しかし、安直にそこが宇都宮市だと決めてかかっていいのでしょうか?
その程度の読み解きでは芸がないです。
実は、作品の中に、読み解きのヒントになる地名が書かれた映像が仕込まれています。
そんな仕込みをしているのですから、ここは深読みをしてくれ、という監督からのご要望だと察するべきです。
私自身は、その映像を見逃していたのですが、ネットの情報により、何が書かれていたか知りました。
疎開先で走っていたバスの行先表示に、大沼町と書かれているそうなのです。
『となりのトトロ』でも、猫バスに行先表示が書かれていました。
ジブリ映画にとって、バスの行先表示は、重要な意味を持ちます、いたずらにいい加減な情報を書くはずがありません。
更に言えば、実際には、戦時中はバスに行先表示を出さなかったらしいのですが、それでもあえてこの映画では、それを書いて見せているのですから、重要な意味が示されているに違いありません。
ですから、この表示が在る事を知りながらスルーしてはダメです。
大沼町という地名は、何か所かあります。
『となりのトトロ』の舞台となった地域に近い東京の小平市にも大沼町がありますが、ここはあまり関係ないと思います。
『風立ちぬ』の舞台となった愛知県にも大沼町がありますが、ここもあんまり関係ないと思います。
北海道に大沼という湖があり、湖ってところは惜しいのですが、関係ないと思います。
残るひとつが、茨城県日立市にある大沼町です。
茨城県日立市は、栃木県宇都宮市にも近く、似たような感じの田舎町ですが、違いは、栃木県には海が無く、日立市は海に面している点です。
日立市は、戦争中には神風特攻隊の基地があり、ゼロ戦の工場も在った地域です。
大沼町は日立市の南で、最寄り駅は大甕駅です。
ですから、大甕駅からバスが出ていたとすると、行先が大沼町と表示されてるはずです。
なので、私の推理では、牧一家の疎開先は大甕町です。
では、大甕町にどんな意味があるのか説明します。
大甕には、映画『君の名は。』の聖地である、大甕神社があります。
どうして大甕神社が『君の名は。』の聖地なのか?というと、『君の名は。』の宮水神社のモデルとなった神社が大甕神社とされるからです。
この神社の御神体が、宇宙から降ってきた隕石だといわれています。
大甕とは、人間が住む領域と神が住む領域の境界を示すために埋められた大きな瓶(カメ)のこだそうです。
その瓶は、死者の埋葬にも用いられるそうです。
つまり、隕石が落ちて埋まっていて、それが大きな瓶で、お墓ってことです。
『君の名は。』の糸守湖は、隕石落下で出来たクレーターに水が溜まって出来た湖です。
その水が干上がったら、隕石が姿を現します。
疎開先のヒサコの実家にある大叔父さんの塔は、そんなふうに姿を現した隕石です。
茨城県には、菅生沼とか、白鳥が飛来する湖があります。
白鳥や渡り鳥が飛来する湖には『もののけ姫』に出てきた、たたらが来て住み着きます。
たたらとは、製鉄をして鉄器を作る加治屋のことです。
それらには、隕石が関係しているという説があります。
隕石は、隕鉄という鉄鉱石です。
なので、地磁気を頼りに飛ぶ渡り鳥は、隕鉄の発する磁気を目印に飛来すると考えられます。
たたら(加治屋)は、渡り鳥を目印に鉄を探したと考えられます。
大叔父さんの塔は、隕石であり、人間の世界と神の世界の境界であり、地下には別世界が埋まっていて、そこはお墓であり、海があり、鳥が集まってきて、加治屋がいます。
別の時間に繋がっていて、元の世界に帰ると夢みたいに忘れちゃう、という特徴もあります。
『君の名は。』で、夢は別の時間に繋がっていて、夢は、醒めると忘れてしまいます。
つまり、隕石が持っている不思議な力というのが、そういう力みたいなのです。
村上春樹の小説も、夢の中(脳の深いところに沈む別世界)と現実を行き来する物語です。
現実っぽいリアリズムの夢を見るか?ハチャメチャなファンタジーの夢を見るか?
人それぞれにどんな夢を見るかは、その人の無意識領域の想像力です。
そんな夢の世界を楽しめるかどうか、この映画の楽しさはそこに詰まっています。
子供は難しい理屈を考えないで、自由な空想世界を楽しみます。
そもそも漫画映画なんて、子供の心で楽しめばいいんじゃないでしょうか?

塔の地上部分は、壁面が全部本棚になっています。
これって、映画『インターステラ―』の5次元世界にそっくりです。
インターステラ―も時間を超えて世界が繋がっていて、少女がお婆さんになったりする映画でした。
大叔父さんの塔の中は本がいっぱいで、大叔父さんはものすごい読書家で、哲学者みたいな人なのだろうと思います。
天才的で狂人的な、見た目はニーチェみたいな風貌に見えました。
ニーチェといえば永劫回帰です。
永劫回帰とは、エンドレスのタイムリープです。
この塔のシステムも、そしてヒミの行動も永劫回帰に合致します。

地下世界にはセキセイインコとペリカンがいます。
どちらも日本には生息していません。外来生物です。
アオサギは、日本各地、田舎ならどこにも棲んでいる鳥です。
『もののけ姫』のたたらは、よそ者、渡来人であり、侵略者ですね。
インコも外来生物ですから、インコ帝国は侵略者ですね。
ペリカンは、高射砲で撃ち落とされる戦闘機みたいでしたね。
インコもペリカンも塔の外に出たら、茨城県の自然環境では生息できませんね。
アオサギは、茨城在住の地元の鳥で、何故か塔に出入りできるんですね。

大叔父さんは、12個の積み木を積んで、頭の中の空想世界のバランスを保っています。
しかし、大叔父さんもそろそろ自分の限界を感じ、後継者を必要としています。
ところが、何故か後継者は大叔父さんの血を引く者がなるというルールがあります。
この映画は、随所に訳の分からないルールがあって、あれをしてはいけないとか、これをしなければいけないとか。
だけど、眞人はことごとくそれらのルールを守らず、禁を犯してしまいます。
そして、結果的には、何事も起こりません。
どのルールも、形骸化した呪縛にすぎません。
世間的には当たり前に思っているルールでも、そんなものに意味は無いのです。
大叔父さんの血を引く者は、眞人と、もう一人、ナツコから生まれて来る弟です。
宮崎駿監督が、自分の孫のためにこの映画を作ったと言っています。
ですから、この部分に込めたメッセージには、大事な意味があります。

ラストは、夢の世界から元の世界に帰還します。
普通、夢が醒めるとその記憶は消えてしまうのですが、眞人は覚えています。
それは、眞人は、ポケットの中に、地下世界の石を一つ隠し持っていたからでしょう。
そして、終戦からしばらく経っているのでしょうか、弟も産まれていて自分で立って歩くくらいに育っています。
牧一家は、何事も無かったかのように東京にもどるってところで、終わりです。

私の感想です。
お父さん(ショウイチ)は、終始嫌味なだけで終わってしまいました。
悪い人ではなく、家族を思って良かれとおもって行動しているのは理解できるのですが、好きにはなれません。
そんなキャラにはそんなキャラなりの良いところを、どこかで見せてほしかったです。
最後には、ショウイチのことも少しは好きになれるように。
それが無かったので、めでたしめでたし、とは思えません。

この映画がわかりにくいと言われる理由は、全体を通した物語の背骨が無いというか、在ったとしてもばらけていて、あれこれあるけれど、どの要素も一繋がりに全体を貫いていない、背骨じゃなくて小骨です。
だけど、キラキラ輝く小骨もありました。
一番楽しくてワクワクしたシーンは、わらわらの登場シーンです。
かわいかったですね(笑笑)
他にも楽しいシーンはたくさんあって、それぞれに面白かったです。
宮崎監督も、ストーリーではなく、シーンがよければいいみたいなことを言っています。
だったら、もっとそういう見せ方、作り方ってあると思います。

私だったらどう作るかというアイデア。
一貫したストーリーのある長編ではなく、短編集として一本に纏めて見せる手法です。
宮崎監督が積み木の数を12個にしたのは、自分のこれまでの監督作品が12本であるからかも知れません。
だとすると、10分程度の短編を12本並べれば、120分の映画を作ればいいですね。
だけど、12に細分すると、散漫になって飽きちゃうかも知れません。
12に拘らなければ、20分程度を7本にすれば、140分くらいで、ちょうどいいですね。
短編はそれぞれに独立した内容で、アニメーターチームも変えて、画風も変わります。
ストーリーはどうでもよくて、それぞれがミュージックビデオのように、印象的なシーンを表現していればいいのです。
だけど、通して全部を見ると、それらに関連性が見い出せるような作りにします。
積み木のように、積み重ねて形を作り、積み方を変えて見ることもできます。

結論としては、あれこれ文句をつけながらも、面白かったし、見て良かった、と思います。
特に劇場の大画面や音響システムで見る必要性も感じなかったので、2回目の鑑賞は配信(DVD)を待ちます。

大甕神社.jpg

【追記】

一応、疎開先が、宇都宮の隣の鹿沼であった場合の読み解きも書いておきます。
鹿沼には、中島飛行機工場があって、そこに宮崎駿の父親の工場も疎開したと考えられます。
この工場が、大谷石を採掘した地下空間に作られた秘密基地のような工場だったらしいのです。
それが、大叔父さんの地下世界や、不思議な力を持った石のイメージに繋がりますね。
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posted by eno at 00:07| 映画 | 更新情報をチェックする