2023年02月04日

『火花』『劇場』又吉直樹

又吉直樹の小説『火花』と『劇場』を読みました。

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『火花』は2015年に芥川賞を受賞して話題になりました。
興味はあったのですが、その時は読む気にならず、スルーしてしまいました。
2017年にテレビ(NHK総合)で放送された連続ドラマ『火花』45分×10回を観ました。
そのドラマを観始めて、すっごく面白いと思いました。
ドラマが終わったらすぐに原作小説も読んでみようと思いました。
しかし、最終回(第10話)を観ていて、なんじゃこりゃ?!と、ドン引きするシーンがありました。
それで、がっかりしてしまいました。
その時は、原作が悪いのか、映像化に失敗したのか、ドラマは原作に忠実なのか、改変しているのか、削っているのか、膨らましているのか、等々突っ込んで考える気持ちにはならず、もうすっかり冷めてしまいました。
そんなわけですから、そのころ出版されたの次の小説『劇場』にもあまり興味が湧かず、やはりスルーしていました。
2020年に『劇場』が映画化され、評判は上々でしたが、コロナの流行で緊急事態宣言になり、DVDが出たらレンタルして観ようくらいの気持ちでスルーしていました。
2021年にDVDが出ましたが、やはりそれもレンタルするのを延ばし延ばしにしているうちに観そびれていました。

2022年になってAmazonPrimeVideoで配信している映画『劇場』を観ました。
心に響くものがありました。
そして、なによりも、ラストシーンがよく出来ていて『火花』の映像化でがっかりしたのとは対照的でした。
そう思ったら『火花』も『劇場』も原作小説を読んで、ドラマや映画と比較して、何が良かったのか、悪かったのか、検証してみなければならないような気がしてきました。

先ずは『火花』から読み始めました。
連続ドラマは、原作を忠実に再現していて、更にドラマのオリジナルシーンを付加して、倍くらいの内容量に膨らませていたことがわりました。
原作も面白いのですが、ドラマの出来は原作を凌駕するほどの傑作でした。
それなのに、何故ラストでコケたのか? 原作が悪いのか?ドラマが悪いのか?
後から劇場版映画『火花』も作られていたので、それもAmazonPrimeVideoで観てみました。
2時間の映画は、原作の内容を半分くらいに削って作られているようです。
なぜ《…ようです》なのかというと、面白くなかったので、途中をほとんど飛ばして観ました(笑)
その映画も、やはりラストのシーンでドン引きしました(笑)

ドン引きのシーンというのは、徳永と再会した神谷さんの胸にシリコンが入っていて、巨乳になっているという驚きの展開からの、巨乳の写実的映像化です。
そういう非常識な思い付きを実行してしまう神谷さんに対して、徳永がコンプライアンス委員会のようなお説教を長々とたれるのですが、又吉の狙いが、このお説教を書きたかったのだとすれば、言い訳のような説明過多は蛇足であり、原作の時点で失敗です。
そして、神谷さんにダメ出しのお説教をしている事を言い訳にしたとしても、そのままバカ正直に実写化すること自体が、もう既にコンプライアンス的にアウトだと思います。
連続ドラマは、第9話までが素晴らしかっただけに残念です。

実写化を考えずに書かれた原作ならば、実写化する際に、そこらへんを変えられなかったのか?と考えると、映画『劇場』のラストシーンは、演出によって上手く改変したシーンなのではないか?という予感がしてきました。
映画『劇場』は、ラストシーンで、アパートの部屋のセットが、舞台演出っぽい動きで、バタバタと展開して、突然舞台劇に変わるのです。

早速、並行して『劇場』も読み始めました。

小説『火花』を読み終えてみると、そもそも全体を通してコントのネタ(セリフ)ぽいのです。
終盤で、スパークスの解散ライブをやるのですが、そのライブの舞台が、彼らの現実を比喩的に表現して行きます。その辺で、小説の中の現実と、小説の中の舞台上の表現と、重なり合わさっている感が出てきます。
だったら、そこから後は、逆に現実が舞台上のネタの比喩として書かれたって何だっていいわけです。
私が実写化するのならば、最後は、徳永が書いた神谷さんの伝記を読んでいる体で、失踪後の神谷さんとの再会は、徳永の作り話なのか、本当の事なのか、よくわからなくして、吉本新喜劇みたいな舞台上のお芝居で見せたらいいと思うのです。
そこは一つのコントとして劇中劇で成立させて、ネタを演じて笑かして終わったらいいと思います。
ラストのほうは、原作からしてすべってるわけだし、実写化するならブラッシュアップするべきだと思いました。

あれこれと批判的な意見を述べておりますが、とはいえ、やはり小説として書かれた文章を読んでみて、とても面白かったです。
文字が並んでいて、それを言葉に変換して頭の中で聴くのは心地いいものです。
又吉直樹の書く文章は、そう思わせてくれる良い文章でした。

小説『劇場』も読み終わりました。
序盤で、ウィスキーの山崎が出て来るシーンは、映画化したら主演は山崎賢人をって、既に意識してたんちゃうか?と思わせますね(笑)
やはり、映画と原作の内容量比率は1対2くらいでしたが、映画では上手く削っていたので、ストーリー全体の流れはほとんど変わっていない印象でした。
この『劇場』も、公園や居酒屋やアパートの部屋での会話劇と、主人公の心の声(モノローグ)で構成される、舞台劇みたいな小説です。
映画では、小説終盤の、スマホでのメッセージの遣り取りであったり、演劇の舞台の様子であったり、そういう映画化には向かないシーンをバッサリとカットしていて、上手く処理してると思いました。
それらは、もっとはっきり言ってしまえば、映画には向かないというよりも『火花』と同様に蛇足っぽく感じるシーンです。
永田が青山とスマホを通して喧嘩をするのですが、長文のメールでグダグダとお説教臭い説明が書かれるわけです。
またコンプライアンス委員会かよ?!って思いました(笑)
永田の中でもコンプライアンス的な葛藤があって、それでも永田がダメなほうに流されるのは、野原のそそのかしと沙希の甘やかしが原因なのです。
野原は、漫才コンビに喩えたら、永田にとって相方のような存在です。
なのに、その野原のそそのかしがちっとも描かれていなくて、野原の存在や役割が物足りません。
その後、池袋の劇場で小峰の舞台演出を観るシーンになり、劇中劇を説明して、またここで舞台が現実の比喩なのか?、現実が舞台と重なり逆転しろと示唆しているのか?、みたいな曖昧さが誤魔化しっぽく感じられてきます。
映画は、蛇足とも取れるそれらをバッサリ切って、永田と沙希がアパートで再会するシーンから、スパッと舞台劇化してしまうのです。
最後は、沙希が舞台を観ている視点になっていて、だからそれは、本当の事なのか、永田の作り話なのかわからないのです。

映画の『劇場』を何回も繰り返し観ていて、また原作を読んだりしているのですが、映画では、原作に無い要素は付け加えていなくて、絵で膨らませているのがよくわかります。
もちろん原作小説は面白くて、文章で読むと、言葉の意味が際立って頭に入ってきます。
私は映像から先に観ましたが、小説から先に読んだほうがよかったのか?どうなのでしょうか?
よく聞くのは、原作のファンが映画を観ると、キャスティングが想像していたのと違って違和感があったという感想です。
『火花』にしても『劇場』にしても、著者の又吉は、自分の分身を語り部として主人公にしているのだろうと思います。
ですから『火花』の徳永、『劇場』の永田は、原作小説から先に読んでいれば、テレビでもよく見ているお笑い芸人の又吉本人の人物像を想像して読んでいたでしょう。

ドラマ『火花』で徳永を演じたのは林遣都です。
私はドラマから先に観たので、小説を読んでいても林遣都を想像していました。
実に見事なキャスティングだと思います。
『劇場』で永田を演じたのは山崎賢人です。
これもぴったり嵌っていて見事でした。
しかし、山崎賢人といえば、他の映画では、たとえば『キングダム』のような、全然違うキャラを演じているので、そのギャップのほうに、むしろ驚きを感じます。
そして、映画『劇場』でヒロインの沙希を演じたのが松岡茉優です。
私は先に映画から観たので、このキャステイングもぴったり嵌っていて良いと感じています。
しかし、もし先に小説から読んでいたとしたら、松岡茉優は想像しなかっただろうと思います。
松岡茉優も、他の映画やドラマでは、もっとシッカリした、むしろ狡猾なくらいのキャラを演じていることが多いからです。
沙希ちゃんは、独特のキャラでありながら、そういう人ようおるねん、というキャラです。
おそらく、女優さんで誰かを想像するのではなく、実際に自分が知っている女性の誰かさんみたいだ~と想像するのではないでしょうか?
そんなふうに想像してしまうと、今度は、それに対しての永田が自分自身のように思えてくるのです。
永田は、自分自身の中にあるダメなところ、そうなってはいけないところをどんどん見せつけてきます。
永田の心の声だけを聞いていたら共感できるのですが、それを行動に移してしまう永田は、典型的なダメンズです。
しかし、心の声では葛藤している永田が、どうして悪いほうへ流れてしまうのでしょうか?
その原因が、沙希にあるんじゃないのか?と思わせるのです。
あるいは具体的には書かれていないけれど、野原がそそのかしているのかも知れません?
そんなふうに永田を擁護したくもなってしまいますが、コンプライアンス的にはどうなのでしょうか?

今回、『火花』の徳永は、コンプライアンス的に問題ありません。
神谷さんは、コンプライアンス的に全部アウトです(笑)
『劇場』では、バイクを壊してしまったのと、スピーかーを壁に投げつけてしまったのが、器物損壊罪なので、永田はコンプライアンス的にアウトです(笑)
その他の方々は、コンプライアンス的に問題はありません。
posted by eno at 11:42| 読書 | 更新情報をチェックする