2017年05月30日

幽霊なんて怖くない

山本弘著『BISビブリオバトル部2幽霊なんて怖くない』を読みました。
昨年(2016年11月01日)ご紹介した「 翼を持つ少女 」の続編です。

岡山・倉敷の旅行中に、数冊の本や漫画を持ち歩いて読んでいました。
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さて、今回のビブリオバトルのテーマは「戦争」です。
中学高校生の若者たちが、読書を通して、戦争に向き合います。
戦争の本質を伝える本は、フィクションなのか? ノンフィクションなのか?
真実とは、科学的に正しい事なのか? ゲームや漫画は不謹慎なのか?

著者の意図は、青少年の時期に、情報リテラシーを学んで欲しい、自分の頭で考えられる大人になって欲しい、そのためのヒントを提供することです。なので、若者(少年少女)をターゲットに、読み易いライトノベルのスタイルで書かれています。でも、むしろ、本当に読んでほしいのは、自分の頭で考えられなくなってしまった大人たちかも知れません。

タイトルの「幽霊なんて怖くない」は、前半のエピソードで、夏合宿の夜、怖い話をテーマにしたビブリオバトルの中で問題提起される言葉です。読んでもらえれば解りますが、本のタイトルにもなっているように、大切な意味を含む言葉です。

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漫画は「響」。


 
posted by eno at 11:12| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

騎士団長殺し/村上春樹

村上春樹著「騎士団長殺し」を読みました。
この作品の主人公は絵描きです。私も絵描きなので、自分に重ね合わせました。著者がどの程度絵描きを理解できているかというと、かなりよく理解していると思いました。絵描きに興味のある人は、是非読んでみてください。

【笑】
この作品は、これまでの村上作品と比較しても、かなり面白いです。しかし、途中で「え???」という感じで揺さぶりを掛けられます。そこでついていけない人は、ついていけないかも知れません。著者のユーモアセンスが、笑っていいものかどうか、どうかしちゃったのか、不安になるレベルで戸惑います。でも、読み進めて行くうちに、わかる人にはわかります。イデアやメタファーを読み解くには、センスと、多少の教養も必要です。

【音楽】
村上作品の特徴として、音楽(曲名)がちょいちょい出てきます。この作品も例にもれず、作中でレコードがあれこれかかるのですが、最初は、興味を持って、ネットで検索して、それらをBGMに聴きながら読みましたが、途中からもう面倒になってきてスルーしました。何事もやり過ぎると飽きられますよ。

【絵】
絵に関しては、小説なので、文章で描写されるだけで、画像的には読者が想像するしかありません。そこで読み手の差が出るかも知れません。たとえ美術に詳しい人でも、自分が脳内に絵を描けるか? というと、なかなかそこまでの絵心は無いかも知れません。つまり、見たことの無い名画を想像しようと思っても、その人の画力のレベルでしか想像できないのです。普通の人(絵の素人)であれば、何が描いてあるか、具体的な説明に囚われて、どうしても駄作しか想像できないでしょう。絵描き(プロ)の想像力だと、何が描いてあるかは、あまり問題にしません。それよりも、名画であるとか、構図が完璧だとか、見た人の感想を優先して、絵の雰囲気から想像します。読み手の能力が問われる小説です。

【無い】
全部読み終わってから気が付くことですが、主人公には名前がありません。
きっと名前はあるのでしょう。しかし、主人公である「私」の一人称で語られる物語の中に、その名前は最後まで語られませんでした。顔の無い男で始まり、名前の無い主人公、実体の無いイデアとメタファー。 無いものばかりです。
「在る」は実体ですが、「無い」は概念です。
絵を描いていると実感することですが、「在る」は描けますが「無い」を描くのは、とても難しいことです。


posted by eno at 22:35| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

痕跡

2011年に描いた、ある肖像画のお話しです。
稀に肖像画の依頼を受けます。その作品は、私なりの判断で“完成”として筆を置き、納品しました。出来栄えにご納得いただき、喜んでいただけました。ところが、数年経って、絵が傷んでいるかも知れないので修復して欲しいとの依頼がありました。しばらく箱に入れたまま保存して、久しぶりに取り出してみると、変化して見えるとおっしゃいます。しかし、私の絵は、技法的に安定して堅牢なので、普通の環境で傷むとは考えにくいのです。返送された作品を確認すると、やはり、どこも傷んでいません。描いた時に撮影した記録画像と見比べても、作品に変化はありません。

いわゆる肖像画らしい肖像画とは、写真のように見える(逆に言うと絵のように見えない)写実画です。そういう作風の絵が、世間一般では好まれ、需要が高いのは承知しています。しかし、私が描いた肖像画は、そのような作風とは違います。初めて見る人は、描きかけかと戸惑うかも知れません。また、一度は納得しても、しばらく見ないでいて、久しぶりに見直した場合、印象が変わるかも知れません。従って、私としては、そのような可能性を忖度して、加筆する“新しい判断”をしました。結果的に、完成度が高まったと思います。

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写真のように描く技術は、正確に転写する方法論と、細密に描写する作業の量が必要です。反対に、技術の質は、むしろ、写真から離れた別領域にあります。「完成度」には、量を基準にする完成度と、質を基準にする完成度があります。量の完成度を高める場合に、質の一部の何かが犠牲となって失われます。ときには、その犠牲が、完成度に代えがたい場合もあります。たとえば、その一つに「痕跡」があります。痕跡とは、過去の経緯を示すものであり、経緯は流れであり、未来への助走です。助走の速度は、そのまま跳躍力に繋がり、着地点(可能性)を示唆しています。どのようなタッチで、どのように描き進めてきたのか、プロセスの断片を残しつつ、どのような完成に到達するのかを、余韻として感じさせるのが、痕跡であり、想像の余地です。

画家本人には、何色かの絵の具を、大雑把に画面に置いただけで、既に完成が見えてしまう場合があります。それは、見る側の人間の頭の中に、見たいイメージ(ビジョン)があるからです。なので、そのような見たいイメージを映し出す、心の鏡のような効果を、絵の中により多く残しておくことも、よい絵の条件です。しかし、作者がそこに何を表現しようとしているのか? 何を想像の余地として、見る人に委ねているのか? そんなに簡単には伝わりません。相殺と相乗効果、行きつ戻りつ、描き過ぎてしまわないように、バランスをとりながら、完成度を高めていきます。
posted by eno at 14:15| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月02日

大藪雅孝先生を偲ぶ会(2017年4月30日)

4月30日(日)昨年9月に亡くなられた恩師の大藪雅孝先生を偲ぶ会に出席しました。
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会場は、上野の精養軒でした。結婚披露宴もここだったと、奥様が仰っていました。
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献花。先生とのお別れに、たくさんの人々が集まりました。
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会場には、遺作の絵画や、先生が筆談で描き残したメッセージが展示されていました。
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posted by eno at 18:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする