2017年06月24日

世界が終わる前に+君の知らない方程式

君の知らない方程式.jpg

山本弘さんの小説「BISビブリオバトル部・第三部・世界が終わる前に」を読みました。
つづけて、ウェブに特別掲載された最終巻「第四部・君の知らない方程式」を読みました、読了です。

★「 東京創元社のウェブページ(2017.02.28)

山本弘さんは、筋金入りのオタクですね、深い読書愛を感じます。そして、書きたいから書く、損得勘定なんて無いのです。BISビブリオバトル部シリーズは、自分が読んで影響を受けた本を、これでもかと紹介しています(他人の本を宣伝している事にもなります)。そして、読書を通して哲学することを説いています。若い人たちに、もっと本を読んで欲しい、そんなメッセージが込められているから、ライトノベルのスタイルで書かれています。普通なら、第一巻を試し読みで無料公開して、その後は有料にするはずですが、これは逆です。最終巻を無料公開しました(最後まで読んでくれたファンに最終回をプレゼントです)。

私は、そもそも最初から、考え方が山本さんとよく似ていて(原体験が似ているのかな?)共感点が多いのです。そして、山本さんの小説から多くの影響を受けました。「アイの物語」の主人公「IBIS」に惹かれ、アンドロイドをイメージした絵も描きました。どの作品を読んでも、知識が豊富です。更に、既存の価値観に固執せず、どんどん新しい流れに乗っていきます。

これまで「アイの物語」が一番好きだと思っていましたが、この「BISビブリオバトル部」を、もっと好きになりました。冒頭から主人公の空に惹かれ、話の展開にぐんぐん引き込まれて、あれこれ考えさせられ、そしてクライマックスに向って、感情が昂ぶりました。登場人物たちと一緒に、思春期に返って悩みました。

そして最後、最後の最後まで驚かされます。

過去記事リンク
★ 2017年05月30日「 2・幽霊なんて怖くない 」 ★ 2016年11月01日「 1・翼を持つ少女

あと、ついでと言ってはなんですが、先月観たSF映画の記事をアップし忘れていたので、フェイスブックの投稿をリンク貼っておきます。
★ 2017年5月19日「 映画「メッセージ」を観ました。
posted by eno at 11:19| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月09日

有るものを無いとは言えない

無いものを「無いと証明しろ!」と迫ることを「悪魔の証明」といいます。

たとえば「異星人はいるのか?」という問いに対しては「わからない」としか答られません。科学者が、科学的に、異星人がいる確率を説明しても、実際にその存在を確認できていません。「いる」という仮説は、あくまでも可能性であって、空想です。
その逆に、実際には皆が「ある」と実感していることを、科学的(理論的)に「ない」と否定する例もあります。

それが「血液型占い」です。

血液型による特徴は、どんなに理屈で否定しても、多くの人々が「有る」と実感します。
しかし、その理由が解明されていないのです。ですから、ブームになった40年前くらいには、統計学で無理にこじつける解説が、科学的ではないとされ、否定されました。つまり、その根拠を理屈では説明できないけれど、何かしら関係がありそうだと推察できる、程度に留めておかなければならなかったのです。
そもそも人間の性格が、血液型だけで4種類に分類できるはずがありません。しかし、その性格を形成する様々な要因の一つとして、血液型が影響していると考えても不思議はありません。個人で見ると、個人差のほうが大きいので、性格の類型が見えにくいのですが、同じ血液型を集めた集団を作ると、その集団の性格が見えてきます。実際に見えるのであれば、見えるものを見えないふりをせず、素直に受け止めるべきです。

人間を、個人ではなく集団で見る考え方で、20年くらい前に再注目された仮説があります。
血液型とは、細胞の「抗体」の型です。抗体は、伝染病に対する免疫力に関係しますから、それが体質として行動に変化を与え、気質を生み出し、気質が性格形成にも影響する、と考えていいと思います。進化の過程で、伝染病と抗体の関係が、人間の社会行動(コミュニケーション)を、どのように変化させてきたのか? という研究です。

繰り返しますが、科学では説明できないことを、科学っぽく説明しようとするのは詐欺です。最も悪質な例としては、霊(魂)の存在を科学的に証明したとかの霊感詐欺の類です。
分からない事はわからないけれど、感じることは感じる、それは事実として認めて、それ以上でも、それ以下でもなく、自分だけの心の問題として、大切にすればいいのです。
 
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posted by eno at 18:17| 思った事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

幽霊なんて怖くない

山本弘著『BISビブリオバトル部2幽霊なんて怖くない』を読みました。
昨年(2016年11月01日)ご紹介した「 翼を持つ少女 」の続編です。

岡山・倉敷の旅行中に、数冊の本や漫画を持ち歩いて読んでいました。
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さて、今回のビブリオバトルのテーマは「戦争」です。
中学高校生の若者たちが、読書を通して、戦争に向き合います。
戦争の本質を伝える本は、フィクションなのか? ノンフィクションなのか?
真実とは、科学的に正しい事なのか? ゲームや漫画は不謹慎なのか?

著者の意図は、青少年の時期に、情報リテラシーを学んで欲しい、自分の頭で考えられる大人になって欲しい、そのためのヒントを提供することです。なので、若者(少年少女)をターゲットに、読み易いライトノベルのスタイルで書かれています。でも、むしろ、本当に読んでほしいのは、自分の頭で考えられなくなってしまった大人たちかも知れません。

タイトルの「幽霊なんて怖くない」は、前半のエピソードで、夏合宿の夜、怖い話をテーマにしたビブリオバトルの中で問題提起される言葉です。読んでもらえれば解りますが、本のタイトルにもなっているように、大切な意味を含む言葉です。

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漫画は「響」。


そして、旅のお供には音楽も。快適なギア。

posted by eno at 11:12| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月23日

騎士団長殺し/村上春樹

村上春樹著「騎士団長殺し」を読みました。
この作品の主人公は絵描きです。私も絵描きなので、自分に重ね合わせました。著者がどの程度絵描きを理解できているかというと、かなりよく理解していると思いました。絵描きに興味のある人は、是非読んでみてください。

【笑】
この作品は、これまでの村上作品と比較しても、かなり面白いです。しかし、途中で「え???」という感じで揺さぶりを掛けられます。そこでついていけない人は、ついていけないかも知れません。著者のユーモアセンスが、笑っていいものかどうか、どうかしちゃったのか、不安になるレベルで戸惑います。でも、読み進めて行くうちに、わかる人にはわかります。イデアやメタファーを読み解くには、センスと、多少の教養も必要です。

【音楽】
村上作品の特徴として、音楽(曲名)がちょいちょい出てきます。この作品も例にもれず、作中でレコードがあれこれかかるのですが、最初は、興味を持って、ネットで検索して、それらをBGMに聴きながら読みましたが、途中からもう面倒になってきてスルーしました。何事もやり過ぎると飽きられますよ。

【絵】
絵に関しては、小説なので、文章で描写されるだけで、画像的には読者が想像するしかありません。そこで読み手の差が出るかも知れません。たとえ美術に詳しい人でも、自分が脳内に絵を描けるか? というと、なかなかそこまでの絵心は無いかも知れません。つまり、見たことの無い名画を想像しようと思っても、その人の画力のレベルでしか想像できないのです。普通の人(絵の素人)であれば、何が描いてあるか、具体的な説明に囚われて、どうしても駄作しか想像できないでしょう。絵描き(プロ)の想像力だと、何が描いてあるかは、あまり問題にしません。それよりも、名画であるとか、構図が完璧だとか、見た人の感想を優先して、絵の雰囲気から想像します。読み手の能力が問われる小説です。

【無い】
全部読み終わってから気が付くことですが、主人公には名前がありません。
きっと名前はあるのでしょう。しかし、主人公である「私」の一人称で語られる物語の中に、その名前は最後まで語られませんでした。顔の無い男で始まり、名前の無い主人公、実体の無いイデアとメタファー。 無いものばかりです。
「在る」は実体ですが、「無い」は概念です。
絵を描いていると実感することですが、「在る」は描けますが「無い」を描くのは、とても難しいことです。


posted by eno at 22:35| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

痕跡

2011年に描いた、ある肖像画のお話しです。
稀に肖像画の依頼を受けます。その作品は、私なりの判断で“完成”として筆を置き、納品しました。出来栄えにご納得いただき、喜んでいただけました。ところが、数年経って、絵が傷んでいるかも知れないので修復して欲しいとの依頼がありました。しばらく箱に入れたまま保存して、久しぶりに取り出してみると、変化して見えるとおっしゃいます。しかし、私の絵は、技法的に安定して堅牢なので、普通の環境で傷むとは考えにくいのです。返送された作品を確認すると、やはり、どこも傷んでいません。描いた時に撮影した記録画像と見比べても、作品に変化はありません。

いわゆる肖像画らしい肖像画とは、写真のように見える(逆に言うと絵のように見えない)写実画です。そういう作風の絵が、世間一般では好まれ、需要が高いのは承知しています。しかし、私が描いた肖像画は、そのような作風とは違います。初めて見る人は、描きかけかと戸惑うかも知れません。また、一度は納得しても、しばらく見ないでいて、久しぶりに見直した場合、印象が変わるかも知れません。従って、私としては、そのような可能性を忖度して、加筆する“新しい判断”をしました。結果的に、完成度が高まったと思います。

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写真のように描く技術は、正確に転写する方法論と、細密に描写する作業の量が必要です。反対に、技術の質は、むしろ、写真から離れた別領域にあります。「完成度」には、量を基準にする完成度と、質を基準にする完成度があります。量の完成度を高める場合に、質の一部の何かが犠牲となって失われます。ときには、その犠牲が、完成度に代えがたい場合もあります。たとえば、その一つに「痕跡」があります。痕跡とは、過去の経緯を示すものであり、経緯は流れであり、未来への助走です。助走の速度は、そのまま跳躍力に繋がり、着地点(可能性)を示唆しています。どのようなタッチで、どのように描き進めてきたのか、プロセスの断片を残しつつ、どのような完成に到達するのかを、余韻として感じさせるのが、痕跡であり、想像の余地です。

画家本人には、何色かの絵の具を、大雑把に画面に置いただけで、既に完成が見えてしまう場合があります。それは、見る側の人間の頭の中に、見たいイメージ(ビジョン)があるからです。なので、そのような見たいイメージを映し出す、心の鏡のような効果を、絵の中により多く残しておくことも、よい絵の条件です。しかし、作者がそこに何を表現しようとしているのか? 何を想像の余地として、見る人に委ねているのか? そんなに簡単には伝わりません。相殺と相乗効果、行きつ戻りつ、描き過ぎてしまわないように、バランスをとりながら、完成度を高めていきます。
posted by eno at 14:15| 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする