2017年11月24日

タイムマシン

時計は、時を刻む機械。
直訳すればタイムマシンだ。
前記事に、私が初めて腕時計を買ってもらった話しを書いた。
中学生になった時、入学祝に、SEIKO 5アクタスを貰ったのだ。
記憶(思い出)の物証だが、何時、何処に消えたのか、今はもう、その腕時計は無い。
その記事を読んだ友人のアンティーク時計店のオーナーが、お店にある時計を調べてくれた。
そして、同型は無かったが、SEIKO スポーツマチックデラックスをプレゼントしてくれた。
一代前の機種で、デザインも機能もほぼ同じだ(印象は、こっちのほうがカッコイイ)。
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東京オリンピックの後、今から50年以上も前に製造された製品だが、正常に作動している。
電気も使っていない、自動巻きのゼンマイだが、修理や調整をすれば、今でも使えるのだ。
電磁パルス攻撃を受けたって、止まることはない。

早稲田のアンテーク時計店「OLD TIMES(オールドタイムス)」
オールドタイムス.jpg

 
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2017年11月18日

腕時計と万年筆

子供の頃の記憶を思い出してみる。

中学生になったとき、入学祝いに腕時計を貰った。
SEIKO 5 ACTUS だったと思う。銀色で、自動巻きだった。
それが初めての腕時計だった。
その後、幾つもの腕時計を買い替えた。

万年筆を貰ったのは、たぶん高校に合格したときだたと思う。
PILOT CUSTOM だったと思うけれど、忘れた。
それが初めての万年筆で、おそらく最初で最後の万年筆だろう。
私はその万年筆で何を書いたのか、全く覚えていない。
学生手帳の後のほうに、メモかなんかを書いたのかも知れない?

腕出時計も、万年筆も、何時のまにか、どこかに失せてしまった。
捨てた記憶も無いし、一体全体どこに消えたのだろう?

携帯電話が普及して、腕時計も、ペンも、メモ帳も、必要なくなった。
だから、もう10年以上、腕時計を買っていないし、使ってもいなかった。
しかし、ガラケーからスマホに進化しても、時計の機能には不便がある。
いちいちモニター画面を起動させないと、時計が表示されないからだ。
なので、やっぱり、また腕時計が必要になった。

※ 参考画像、SEIKO 5 ACTUS、PILOT CUSTOM。
5アクタス-カスタム.jpg

Solar Watch MJ-SWG1.jpg

MUJI 無印良品 「Solar Watch」Mj-SWG1
 
posted by eno at 13:49| 思った事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

ブレードランナー・2019〜2049

「ブレードランナー2049」を、再度鑑賞しました。一回目(公開初日)は字幕を観たので、二回目は吹き替えにしました。もちろんですが、未だ観ていない人は、先ずは字幕を観てください。そして、もう一度観るのならば、補完的に吹き替えを観ると、視覚を映像に集中できるので、いいと思います。

僕は、一作目のブレードランナーも、82年の公開初日に観にました。前宣伝では、派手な戦闘シーンが展開するスペクタクルだと煽っていたので、期待とは全然違う内容に拍子抜けしました。公開当時にブレードランナーを観た連中は、みんな面白くないと思ったはずです。なのに、なぜか、観終わった後に、感想を語り合って盛り上がっていたのです。「二つで充分ですよ、わかってださいよ」とか「おい見ろよ、なんかへんなもんが落っこちてたぜ」とか「タンホイザーゲート」とか「Cビーム」とか・・・ そのようなセリフのディテールにこだわって、ストーリーはどうでもよくて、登場人物には感情移入できないし、なんかよくわかんなくて、奇妙な感じなのです。ヴァンゲリスの音楽と、シド・ミードのデザインと、多文化混在で、退廃的で、汚くて、古くて新しい近未来イメージが面白かったのです。

僕は、音楽を担当したヴァンゲリスが大好きだったので、映画を観る前から、劇中挿入曲のメモリーズ・オブ・グリーンの収録されたアルバム「流氷原・See You Later(1980年)」を持っていました。それが、唯一のレコードでリリースされていたブレードランナーに使用された曲でした。その後、1989年のベストアルバムに挿入曲が3曲収録されて、オリジナルサウンドトラック盤は、1994年まで出ませんでした。ですから1985年に出たニューアメリカンオーケストラが演奏したレコードを、ビデオ音源に多重録音で合成して、編集版を自作して聴いていました。



SFは、大前提としてフィクションであり、フィクションとは、虚実を現実のごとくに辻褄を合わせて描く事ではなく、現実のままでは表現できない本質を描き出す手段として、それを虚実に置き換える事です。それは文学的な文章表現としての、小さな意味での比喩ではなく、大きな意味での、物語全体のテーマが普遍性のある比喩になっているということです。

ブレードランナーが公開された82年当時の社会背景は、まだ東西冷戦時代で、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻していましたから、中東の情勢も今とは違います。日本はバブルの前で、ヨーロッパやアメリカにも、まだ移民問題はありませんでした。そんな時代に、近未来を予測した移民問題の比喩は、全然リアリティーがありませんでした。つまり、数名の不法移民がテロリストとして潜入して、市民に紛れ込んでいるとします。それを探し出して始末する捜査官の話だとすれば、それが、現在であれば、とれもリアルな話なのですが・・・

2049で、ネクサス8たちが革命軍を結集する計画は、喩えるならIS(イスラム国)です。それをクルド人勢力に始末させ、その次はクルド人が独立国を作ろうとします・・・

さて、続編では、ストーリーの連続性や、一作目の世界観を壊さずに踏襲しながらも、イメージの更新を試みています。夜の黒い世界から、砂漠のオレンジ色に、酸性雨から雪に変わっています(雪は、新海監督の「秒速5センチメートル」みたいです)。そして、今回は、予算をかけて細部まで手抜きなく、丁寧に作られていています。前作が誤解されているのは、予算を節約した安っぽさが、B級映画的なダサかっこよさで、逆におしゃれなセンスなのだと勘違いされているところです。たとえば、ビルの壁面の大型ディスプレーに、芸者の顔が大きく映って「強わかもと」を食べているのは、ステレオタイプの間違った日本のイメージであって、日本文化が小馬鹿にされているのですが、それに食いつくデリカシーの無い日本人たちが、後から流行に乗った、典型的な俄かファンなのです。今回の映画には、そういう馬鹿っぽさはありません。

前作も、続編も、タルコフスキーのオマージュが散り嵌められていて、映画好きの心もくすぐるし、哲学や宗教(聖書)の要素も潜んでいて、とても知的な映画なのです。

The Sacrifice


Solaris


CGが発達して、どんな空想もリアルに描けるようになりましたが、未来のイメージは、まだCGが無い時代の、ブラジルやディユーンが描こうとしたそれを感じさせます。

Brazil


Dune


2049は、主人公Kの自分探しの物語です。
Kは記号です(シリアルナンバーKD9-3.7の頭文字)。
※ Kは、フィリップ・K・ディックのミドルネームから引用した説もあります。
ジョイ(AI)は、Kは特別だと言って、ジョーと名付けます。
そして、Kにとっても、ジョイは特別な存在になります。

Kは、自分が特別だと思い込みます。自分には特別な記憶があるからです。しかし、レプリカントに移植する偽物の記憶を作成するステリン博士は、それらの記憶の中に、本当の自分の記憶も混ぜていました。Kは、特別ではありませんでした。そして、ジョイも、大量生産の複製品に過ぎないと気づきます。

AIのプログラムが1と0と二文字の配列なのと同様に、人間やレプリカントの遺伝子(DNA)も、アルファベット(ATGC)四文字の配列に過ぎません。 二文字は四文字の半分でも2倍美しいというセリフが、前作の「No Two Two Four」「二つで充分ですよ」というセリフに呼応します。

ジョイは、ウォレス社製の製品で、それを買ったKに忠誠を尽くすようにプログラムされています。Kもウォレス社製の製品で、クライアントの警察に忠誠を尽くすようにMEMEが書き込まれているはずです。ラブもウォレス社製の製品で、ウォレスに忠誠を尽くします。旧型のネクサス8は、タイレル社製の製品ですが、DNA(自己保存本能)が優位に作用しています。しかし、ネクサス8は、奇跡を観ることで、レプリカントのMEMEが生じて、人類と敵対して団結します。MEMEのために戦うのは聖戦であり、MEMEのために命を捧げるほうが、より人間的だと考えます。Kは、自分が特別だと思い込むことで、ウォレスのMEMEが不安定になり、レプリカントのMEMEに触発され、自分なりの意思が芽生えます。

2049には、賛否両論ありますが、私は、賛のみ、否定的な批判はしません。
しかし、私だったらこうする、みたいな対案はあります。たとえば、ジョイ役のアナ・デ・アルマスは、申し分なく魅力的で、適役なのですが、そういう問題ではなくて、私だったら、ジョイには女優を使わずに、CGで描きます。日本には優秀なゲームクリエーターがいますから、彼らに制作を依頼すればいいと思うし、もっと単純な、アニメのようなキャラクターデザインでもいいし。そのほうが、テーマの本質が明確化できたと思います。

ブレードランナーのファンは、少なくとも潜在的にはオタク気質なので、Kが孤独で内向的に描かれるほど感情移入できると思います。つまり、Kは生身の女性を愛するのはなく、2次元に萌えるようなオタク野郎であると。

そう考えると、ジョイは完全にアーティフィシャルであるべきだろうと考えます。映画ではそれが可能だったのですから、試みて欲しかったです。もしそれが成功すれば、前作には無い発想の、レイチェルを凌ぐ萌えキャラが誕生したかも知れません。

特別だと思い込んだジョイとの会話も、想定されたレスポンス(プログラム)に過ぎないと疑う虚しさ。しかし、自分とは、そもそも最初から確立された絶対的個性なのか? それとも複製品(プログラム)同士であっても、その関係「縁起」に生じる相対性なのか? それを考える哲学的な問いです。

前作で残された謎は解けましたが、続編から登場したウォレス正体は何なのか、ステリン博士はどうなるのか、レプリカントの革命は成功するのか・・・ このこの先にもまだ続く余地を残して終わりました。

【前回の記事】⇒ http://enologue.seesaa.net/article/454477429.html
posted by eno at 00:11| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月27日

ブレードランナー2049

待ちに待った続編、封切り日の初回上映を観てきました。


さて、ネタバレ無しで、何をどこまで書けるか・・・
とりあえず頑張って書いてみます。

前作では、最初のほうのタイレル社のシーンが夕陽で、その他は殆どのシーンが夜で、雨が降っていて、ラストシーンで雨がやんで、夜が明けて、終わります。続編では、昼間のシーンが多く、雨ではなく、雪が降ります。メカデザインは、外観的には前作とあまり変わりませんが、ブラウン管は無くなり、液晶画面になりました。街には3Dフォログラムが溢れています。描かれている世界は、ずいぶん変わったなぁ〜、という印象です。

一作目は、フィルムノワール的な雰囲気や、タルコフスキーの「ストーカー」を思わせるような表現が見られたり、未来的というよりも、ノスタルジックな映画でした。続編は、もっとSF的で未来的です。それは、良くも悪くもあるのですが、未だCGが無い時代の映画と、CG技術の発達した今日的な映画の違い(差)があるのでしょう、映像は美しいです。

Stalker


結局、内容については殆ど語れません、ネタバレの壁があります。
哲学的な深まりがある、とても良質、とだけ申し上げておきます。

また、もう一度観て、もう少し踏み込んだ(ネタバレも含む)レビューを書くつもりです。 
  
※ これはネタバレではなく、公認で公開されている、短編フィルム三本⇒ 続きを読む
posted by eno at 19:33| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

観○光 ART EXPO 2017 京都展 ― 縁 ―

京都、御寺泉涌寺に行きました。
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観○光 ART EXPO 2017 京都展 ― 縁 ― が開催中です(参加しています)。

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御寺泉涌寺本坊小方丈、五行の庭に面した一番奥に、ひっそり展示。

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出品作「泉涌図」40F・パネル・キャンバス・アクリック・墨・その他。

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泉涌寺長老、上村貞郎猊下と。

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御来賓の門川大作京都市長と。

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オープニングパーティーが始まりました。

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パーティーが終わって、京都の夜、あっぱれ屋で深夜まで。

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泉涌寺の名前の由来である泉の水が、泉涌水屋形の前に湧き出ています。

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月輪陵(つきのわのみさぎ)後月輪陵の拝所の前で。

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ラジオ関西「寺谷一紀のまいど!まいど!」の寺谷さんと、吉川亜樹さん。

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御座所の庭で紅葉を眺める吉川亜樹さん。
 
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